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2011年6月

アイルランド 極上の夏 その1 スライゴーの牧場

ある夏の朝、そこはアイルランド、スライゴーの民宿だった。庭先に出ると、馬の親子が跳ねていた。

Horses

気持ちのよい朝は、誰かに挨拶したくなる。近くを通りかかったおばさんに挨拶すると、自転車を運転しながら気持ちよく挨拶を返してくれた。

牧場のはずれに木の茂った隆起が見える。古墳かも知れない。スライゴー地方には、古墳が多いのだ。

数千年の過去の痕跡と、一瞬の馬の躍動。

この写真は、白黒フィルム(イルフォード・フィルム)を電子化したもの。はたして、最初からデジカメだったらどうだったか。少し、技術的なことも気にしている。イルフォード・フィルムには、元来、独特の質感があると感じる。

太陽のしずく(sundew)、モウセンゴケまたはドロセラ(dorosera)

数種のモウセンゴケを集めて、大きめの植木鉢の中で群落を再現してみた。明け方の光の中で見ると、英語名、Sundewのイメージがよく分かる。

Dorosera_2

モウセンゴケ類特有の繊毛それぞれに、太陽の光をとらえ、なかなか神秘的である。和名では、この緋色の赤みとフワフワ感に着目して、毛氈(モウセン)。どちらもよく特徴をとらえていると思う。

この写真では分かりにくいが、4種のモウセンゴケがこの中にある。

モウセンゴケ(D.rotundifolia)

ナガバノモウセンゴケ(D.anglica)

ナガエノモウセンゴケ(D.intermedia)、一番目立っている手前のもの。

と、モウセンゴケとナガバノモウセンゴケの雑種、サジバモウセンゴケである。

いずれも、寒冷地型のモウセンゴケなので、これから盛夏を迎えると管理が難しくなっていくはずだ。たとえば、昨年の猛暑では、手痛いダメージを受けた。梅雨時の今が盛りと考え、撮影してみた。

水の安全性の科学について

すごい時代になったものだ。あの日以来、明けても暮れても、シーベルトとベクレルの数値から逃げられない。水道水は突然、毒水になったのだろうか?以下、東京での生活感覚で述べる。

そもそも、水の安全性とは何か。これは、とても包括的問題である。

僕の学生時代、借家にセールスマンがやってきた。彼の主張は、水道水の塩素は健康上極めて有害であり、多くの科学者が警鐘を鳴らしている。だから、今すぐ、この浄水器を買いなさい、というもの。さもなくば、がんになって死ぬよと脅された(科学的?データ提示あり)。

そんでもって、実験まで披露してくれた。試薬を入れると水道水が真っ赤になる、しかし、浄水器を通せば、大丈夫(やるねぇ)。

なかなか、劇的である。隣の学生は、ローンでこの浄水器を買った。バイトも始めた。彼の留年との因果関係は不明だ。

塩素、一点を絞っても先の例では深刻なイメージである。だが、鉛などを含んだ古い水道管から、体に入る重金属の影響はどうだろう?こっちの検査も必要じゃないか。

いやいや、集合住宅の貯水槽、これだって大丈夫か。定期的にメンテナンスしているのか。ネズミが浮かんでいたって話もある。これじゃ、浄水器どうこうの問題ではない。東京都の衛生部門の職員いわく、「必要性を認識していますが、とても検査、指導が追いつきません」。

これから問題になるのは、プール。もともと、念入りな消毒処置を施すのか通例。僕が小学生のとき、スイミングスクールをやめたのは、目が痛くて仕方がなかったからだ。

つまり、数値以前に体が拒否したわけだ。これだって科学的根拠である。

プールの水を消毒する理由は、感染症より少しくらい目が痛くなる方がまし。ということだろうが、それは程度の問題である。程度の問題といえば、個別の条件により、放射性物質より、塩素の方が有害である場合もありうる。

微生物も、ヒトも同じ生物には変わりない。これはベタな科学的事実である。放射性物質はすべからく生物に有害な点、これは塩素でも同様だろう。けど、わざわざ塩素は水道水にも、プールの水にも使われている。

もし、政府のいうことなど信用できない、行政上の措置などあてにならない、と考えて、放射能も含めた万全の検査機器を駆使して日常生活を営むとすれば、ビョーキだろうね。もちろん、本人の思考の筋道自体は筋を通すことができるだろうけど。

この場合、経済的バランスを欠くことになるだろうし、ひいては幸福感を低下させることになるだろう。けど、”命より?健康管理が大切”みたいな人はいる。

古い記事で記憶もはっきりしないが、北欧のとある国の疫学データ記事を思い出した。極端な健康志向の人は、そうでない人より、長生きできない!という結果だったと思う。

もともと、具合の悪い人が健康志向にこだわるからか、それとも、健康志向がストレスを高め、免疫力を低下させるからなのか、その点は分からない。

結局のところ、科学は、自然の事象の一部分を切り取り、信用可能な情報を提供できるが、あくまで部分情報でしかない。しかし、私たちの生活は、水を含め、極めて包括的に自然界と関わっている。

だから、科学的データを本当に活用するには、総合的な、ビジョン並びに重要性の判断基準が必要になるだろう。かつ、これを自分自身の生活スタイルに落とし込むこと。この作業を、名づけるとしたら、「良識」ではないかな。

大げさにいってみたが、少なくとも、特定のデータを偏重しないことだと思う。水道水の水質に限らず、実生活のリスクは他にいくらでもあるし、それは自然界の数値にも限らない。

伊豆紀行 その2 川端康成、伊豆の踊子

観光ガイド的にいえば、、小説”伊豆の踊子”の舞台となった道を歩いてみよう。この小説はかなり実話なので、現地の、この小説の舞台に上がってみるのも一興。

そこそこ旧道が残っているので、一般車道を離れてこれをたどればいい。ごくショートコースでいくならば、車道からはっきり脇道が旧天城トンネルへ通じているので、この脇道に入り、トンネルを抜け、そのまま山道を歩くとまた車道に出る。

この旧天城トンネル、ぼくはまだ電灯がないときに、通過を試みた。で、挫折した。それは、夏の夕暮れで、ヒグラシが寂しげに鳴き、他にだれもいなかった。

真暗である。10メートルも入ると、自分の手も見えない。遠のく現世みたいに、入口が小さくなる。で、出口に向かって走る。足元に何があるかもわからない。

小さな点として、出口があるけれど、そのうち揺れて見える。暗闇の中の錯覚だけれど、さすがに恐怖を感じたので引き返した(いくじなしである)。しかし、川端康成はこんなトンネル体験を取り立てて記述していない。当時としては、トンネルが真っ暗なのは当たり前なのだろう。今は、電灯付きの古風なトンネル、普通の観光名所である(心霊スポット説もあるが)。

で、伊豆の踊子なのだが、旧制一高校である”私”と踊子の出会いの逸話である。一見、旅先でのはかない恋愛エピソードなのだが、”私”と踊子の間にある社会的溝がはっきりある。また、これを飛び越えることなど、どちらも毛頭考えていない。

そもそも、旅芸人の地位は、ひどく低かった。この小説は、これを当然のこととして描いている。踊子一行は、伊豆の温泉街をめぐり歩きお座敷芸など披露しているのだが、宴席の喧噪が止んだとたん、”私”は、「踊子の今夜が汚れる」と心配している。

それって、当時の感覚からして、芸以外にもオプション的に売るものがあることが前提だからだ。

ところで、川端という人は、いわば魂のホームレスだと思う。親も、祖父母も幼くして次々に亡くなっている。こうして、あちこちに引き取られて成人した。その一方、学校の成績は、神童レベル。こういった人は、いろいろ難しい問題を抱えこむものだ。そこで、一種のリセット感覚で伊豆に旅行した。時に20歳。

魂のホームレス、この言葉は僕の造語だけれど、つまり、丸ごと自分をそのまま、打算とか、条件とか無く、受け入れてくれる場所がない、という意味。その青年(超エリート候補である)は、いじけていたが、踊子たちに出会い端的にいい人ね、とそのまま存在を認められたことで今までとは違った自分に出会うことができた。これが、青春小説としての、伊豆の踊子の本題だろう。

川端は、以後、伊豆に創作活動上の重要拠点を持つが、これは自分で見つけたホームみたいなものだろうね。伊豆の風土も関係があるのでは。

それは、田舎のようで田舎ではないような。古くから温泉地として知られ、常に外から人を迎え入れることに手慣れている文化があるように思う。

伊豆の踊子のハイライト・シーンは、裸の踊子が、子どもっぽく、湯煙の向こうから手を振ってくれる大らかな場面。そこで”私”は心の氷がじわっと溶けていく。

踊子は、一行の話によれば14歳だが、化粧や髪型でもっと年上に見えている。また、文盲に近いらしい。家族のいろいろな都合で、こうやって旅をしているのだ(今なら児童相談所の介入が当然だろう)。

踊子につき、重大な事実もあったらしい。しかし、川端は書かなかった。それは、踊子がすでに梅毒を患い、湯煙シーンの裸を見るだけで分かったことである。相当に進行しているということか。

どうでしょうかね。そんな状況にある女の子が、いじけた自分に、率直な天真爛漫さをもって手を振ってくれたら。「だいじょうぶ、あなたはあなたのままでいい」こんなメッセージを伝えてくれるのだとしたら。

このエピソードを踏まえると、この小説、ポワンとした恋愛小説ではなく、凄みのある青春小説と分かる。

幼児の経験世界 学力、人間力、そして生物力

今日は、登園前に、ドクダミとラベンダーを摘んで、植物の香りを勉強した。ラベンダーは名だたるハーブだけれど、ドクダミも、その多様な薬効において、日本の伝統ハーブの筆頭に挙げておきたい(別名十薬)。

香りとは、原始的な感覚なのだけれど、自然に直結している。ぼくは、勝手に、人間にはこういった”生物力”が必要で、それは都市化された環境ではとても大切だと信じている。

この時期の子どもを抱えた親たちは、「うちの子も英語教育始めたほうがいいのか」とか、マジメに考えていることがある。

それは、学力の部類。英語力、あればそれなりにいいけどね。でも、いわゆる人間力の基礎があってこそ、生かされるだろう。そうじゃなければ、ただの生意気なガキになるだけ。

人材育成の関連で、人間力って言葉をよく聞くようになった。っまあ、勉強はできてもろくに挨拶もできない、チームワークもできない、プレゼン意味不明、これでは企業も困るわけだ。

さらに、その下にあるのが、生物力。それは、迫る危険をいち早く察知したり、健康を自主管理したりこういった生存を助ける働きのほか、感覚を豊かにして、経験世界に深みを持たせる働きがあると思う。

さて、うちの娘は、小さなラベンダーの葉っぱを手に、元気に登園。お友達や先生とその香りを楽しんでいた。いつもの、備え付けのおもちゃとは別に、この自然物は一味違ったイベントを提供してくれた。

老いの心理学と知的サプライズ

かの松尾芭蕉が、俳諧師としての総決算、すなわち「奥の細道」の旅に出たのは、40代の半ばである。江戸時代の常識からすると、40代が隠居を考える時期でもあったらしい。

また、藤原定家の日記、「明月記」では、40歳ころから、こんな老人になった、みたいなことをグダグタ書いている。

歴史社会学的には、40代から老人のカテゴリーに入るらしい(ゲェ!)。

今は、高齢化社会であるからとんでもない?っていうけど、こんな話も聴いた。

「40歳以降は外科医の腕(手術場面)が落ちる」、これベテラン看護師さんの言葉だけれど、生理的に集中力とか低下するのだろうね。

つまり、どんな時代だろうと、生物としてのヒトの基本は変わらないということだろう。

僕が見ていて思うのは、(多くの場合)発想の切り替えがこのころから次第に、難しくなるように思う。それなりに社会的地位も高くなれば、プライドも高くなり、他人の意見を素直に聴けなくなることも多い。だから定年にはそれなりに意味がある。

って、愚痴っぽくなったけど、個人的に高齢者の多い会議に出ることが多いからだ。NPO関連なんかそう。かつて!偉かった人たちが、世の中のためにと大義名分を掲げているものだから、話が全然まとまらない。そのうち、いい年してけんか始めちゃったりする(やたらに怒る認知症のタイプもある)。

どの道、だれでも年をとるわけだが、できればカッコイイ老人になりたいもの。その処方箋はいろいろあるだろうけど、このブログで提案するのは、知的サプライズである。

それは、「へぇーそーだったんだぁ!」と素直に足元からモノの見方が変わる体験である。誰でも、子ども時代は、この体験に満ちていたでしょう。

そのネタは、路傍の雑草の中にあるかも知れないし、古本屋の哲学書の中にあるかも知れない。というわけで、このブログは、その発掘に努めています。

子どもとの対話 生と死そして震災

昨日、保育園での散歩のエピソード。うちの娘は、公園でテントウムシの死骸を見つけた。そこで、しみじみとつぶやいたそうだ。「地震で死んじゃったんだね。」

これには、保育園の先生も驚いたそうだ。地震はさておき、3歳児ともなると、死の観念が芽生えてくる。これは、個人の精神史上、大きなエポックだとおもう。

今日の朝、子ども番組で、またまたテントウムシ。その誕生シーンを観た。「赤ちゃんが生まれたよ!」と喜ぶ。成虫が登場すると、「ママかなぁ?」

登園途中、保育園の入り口で、プランターの植物の中から毎朝なじみのテントウムシの幼虫を探した。ところが様子が変である。「どうしちゃったの、、。」

僕は、さなぎになったことを説明した。「大きくなるための一休みだよー。」

これで、命の一回りのステージが認識されたわけだ。やがて、自分自身への類推が始まるだろう。

僕は、あの震災のとき、廃墟みたいな病院で生まれた子どもたちの記事を思い出した。

もう一度、「あの子たちに幸あれ」と願った。

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