« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月

伊豆紀行 その1 海民

数年ぶりに伊豆を旅行した。過去の経験も踏まえて、伊豆紀行を書いてみる。

かつての職場に山本さんという方がいた。臨床心理の専門職なのだけど、ご実家は、西伊豆の漁師だと聞いた。鄙びた西伊豆の漁村風景が脳裏に浮かんだが、なんとも職場とミスマッチでおもしろかった。

その後、アイルランド関連でも山本さんと知り合った。こっちの山本さんは、紀伊半島出身。自称、海賊の子孫である。

そこで、想像力が働いた。この両山本さんは、本来、海民ネットワークでつながっているのではないか。この二つの大きな半島の間には、海を通じた人の交流があったのだろう。

伊豆半島の向こうには、三浦半島や房総半島がある。この関係は、鎌倉幕府の成立とも密接に関連しているが、その他、太平洋に突き出た半島どうしが無縁であるはずはないだろう。

標準的な日本史では、あまりこのあたりのことが触れられていないが、戦国時代までは、何とか水軍とかいろいろ出てくる。それらは、漁民であったり、海上交通の担い手であったりもしたはず。つまり、歴史の一大勢力である。

徳川幕府は、士農工商の身分関係を確立しましたって、いうけれど、それじゃ、こういった海民はどうなるのか。ここに、もう一つの日本史が隠されていそうである。

伊豆半島については、山も深いし、温泉も多いし、いろんな切り口から発見ができそうだね。

子どもとの対話 哲学の始まり

うわさには聞いていたが、、、怒涛の質問が始まった。

「もうすぐ質問攻めが始まりますよ」と子育て3人経験のママに聞いていたが、最近は難問も出題される傾向にある。

今日の朝、「あの木はなーに?」ときた。「山茶花だよ、寒いときにお花がいっぱい咲いてたね」

こういった現物関連はなんとかなる。

が、「神様ってなーに?」ってこれは難問である。すでに2回出題されたが、キレの悪い回答をしてしまった。

B.ラッセルによれば、プラトンの対話編は、結局、概念の規定をする作業だといっている(結構嫌味であるが)。そうとしても、これは大切な作業であろう。

思考とは、言葉の意味を明確にしなければ、うまく回らない。これは、一生を通じて大切なことだ。

仮面ライダー1号と脳科学の時代

すっかり仮面ライダーマニアになってしまったうちの娘と、仮面ライダーの第一話を勉強した(テレビ放映版を観た)。

本郷猛は、ショッカーに捕まり、まず身体改造を受けた。しかし、悪の組織の一員となるべき、脳改造の前に脱出できたので、正義の心を持つヒーローになれたのだ。これが事の始まり。

脳改造は身体改造とは別。これが興味深い。脳は心のよりどころだから、脳を変えれば心も変わるって発想がここにある。

そういえば、この時代、、、。これが脳科学の時代の始まりなのだろうね。僕の脳科学(生理心理学)の先生の若いころだ。先生は脳波計を駆使して、当時としては斬新な研究に取り組んでいた。しかし、中身(脳)そのものではない。

一方で、外科系の脳科学者たちは、粗暴な犯罪者の改善(改造?)に取り組んでいた。いわゆるロボトミーである。だから、仮面ライダーのお話は、れっきとした時代背景に基づいている。

あの有名なシーン、手術台の上でもがいている本郷猛、これはある意味実話である。このころ、多数のロボトミー手術が行われていたはずだ。また、自ら進んで、「善の心に変えてください」なんて者はいなかったろうから、強制である。

僕が、かつてある窃盗犯の事例を調査したとき、古い資料から、彼がロボトミー施術を受けていることを発見した。

なるほど、額に傷がある(あの有名な稲妻型ではないが)。しかし、ほとんど会話は成り立たない。魂の抜け殻に近いというべきだろう。かつては、激しい粗暴犯だったろうが、今は短絡的な窃盗程度の事件しか起こしていない、というよりこれしかできない状態だった。

古い映像を改めて観ると、当時の時代背景が見えてくるという話。

野田村の記憶 廃校とユースホステル

Neko

昔のことだ。バイクに荷物をくくりつけ、東北を旅した。このときの、三陸海岸の情景には思い入れがある。あの長く入り組んだ海岸線は美しかった。

そのBGMは、狭角Vツインエンジン鼓動とカモメの声だ。本当に、飛ぶカモメと並んで走ったことがある。

当時、野田村には、廃校となった小学校を改装したYHがあった。○年○組なんてそのまま、これがそのまま部屋名となっていた。こいつは!洒落ている。

二泊して、気ままに過ごした。海岸を歩き、ネコと遊び、断崖沿いの脇道でバイクを走らせていた。この写真は、YHで飼われていたネコだ。夏の終わりの日差しの中で、スヤスヤ居眠りをしている。野田村は、実に、平和であった。

YHがあったのは、野田玉川駅近くだったが、この付近には西行の伝承が残されている。本当に訪れたどうかはわからない。が、平安期を通じて、都人にとって、このあたりが詩想をはぐくむ聖地であったことは間違いない。

あの日からしばらくが過ぎた。着実に東北は復興しつつある。震災後、野田村のHPは消えてしまっていたが、今では復旧し更新も続いている。また三陸鉄道もがんばっている。

野田村HP

http://www.vill.noda.iwate.jp/

三陸鉄道HP

http://www.sanrikutetsudou.com/

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »