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2011年4月

幼児の経験世界 概念をとらえる(パンジーとviola)

(親ばかネタである)

道端のスミレ(タチツボスミレ)を指差し、「スミレだよ」と教える。すると、娘は、「パンジーみたいだね」と応えた。

ほぅ!直感的に、スミレとパンジーが同じ種類だと分かったらしい。つまり、大げさだが、より抽象的なスミレ属(viola)=ビオラに、この両者を含めることができたというわけだ。分類学的にこれは正しい。

しかし、パンジーの原種でも知らない限り、これはなかなか分かりにくい。品種改良の成果で、パンジーは、いわゆるスミレとして、極端な花になっているからだ。ところが、最近では原種に近い、より小型のパンジーも出回っている。これもビオラという。ややこしいネーミングである。

またあるとき、散歩の途中で花壇の手入れをしているご婦人を見かけた。そこで娘は、トコトコ近づき、手入れの最中であった花の一種類を指差し、誇らしげに、「パンジー!」と呼んだ。

このご婦人いわく、「あーら残念」これは、「ビオラなのー」。そこで娘は「???」。

やっと3歳の小娘に、この説明は難しいだろう。もう少し大きくなったら教えてやろう。

掌(たなごころ)の上で花を活ける(春)

Plants

硬いネタの多い当ブログであるが、春も盛りなので、ささやかに花を写真を載せてみる。

うちの小娘を助手にして、ベランダの花を小さな小瓶に活けてみた。

青色は、先にも登場した亜麻、ほとんど散ってしまい、これが最後の花。

真ん中はデージー(原種)、白い小さな塊の花はアリッサム、これも原種。

端っこの十字形の花は、ルッコラ。ハーブとして知られるが、花を見た人はあまりいないかも。

黄色いのは、コメツブツメクサ、これがなにを隠そうあの、シャムロック(アイルランドの国花)。シロツメクサをよく観察した人なら、同類と分かるだろう。

あと、もう一つは名称不明だが、タネから育て、うちでは4年目の開花。ヨーロッパ系の野草である。

雑草じみたものばかりだが、小さくまとめてみるのも一興。

亜麻(Flax)に関することあれこれ

Flax_2 アイルランドの亜麻畑をしのびながら毎年栽培している。今年も、盛んに花をつけている。

亜麻色といえば、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」を連想するが、それは繊維のことだ。亜麻の花は青空の色である。

本来、繊維(リネン)を採ったり、タネから油を搾るために栽培される産業用作物である。観賞用の植物としては、いまひとつ。しかし、スラリとした形態(だから長く繊維が採れる)は独特、また、栽培しやすく、群生すれば見ごたえもある。

アイルランド産のテーブルクロスなど愛用の方は、ぜひこの本来の姿も見てやってほしいと思う。

かつて、北海道で産業用に栽培されていた時期があったようだ。幕臣、榎本武揚といえば、土方歳三らと幻の蝦夷共和国を構想した人だが、戊辰戦争後、亜麻の栽培を地場産業用に導入したのは彼の功績らしい。

亜麻の花は、北海道開拓史のエピソードにも関連している。

大震災とエピソード 石碑の教え

昭和の初期に建てられた石碑の教えにより、集落全戸が津波被害を免れたという話。これは、宮古市姉吉地区のエピソードである(2011.4.13、日経新聞報道による)。

つまり、津波被害の教訓から、ここから下に家を建てるな、と石碑を建てた人がいた。そして、住民もこの教えを守り続けたわけである。

建てた人もすごいが、きっちり守る方もたいしたものだ。持続的なコミュニティがなければこうはいかない。さすが、東北である。この石碑、建立者の名前がないようだ。潔くてこれもいい。

今どき、特に大都市の住民は、自分のことで手一杯。自分の老後の生活設計どうするか、マジメに考えているならたいしたものだ。気の利いた人は、遺言書を書く。それでも、何とか次世代止まり。

僕がいいたいことは、時間を越えた意識の射程範囲のことである。先が読めない時代には、イメージを先に飛ばすことがなかなかできなくなる。ある意味、これは心の貧しさである。

無縁社会とは、こんな感じでできていくものだろう。無縁になった分、行政が肩代わりすることになり、将来からお金を持ってくる技(金融政策)が発達する。で、国債の残高が膨大となっていく。

これは、すなわち、将来に何を残すかの話ではなく、将来から何を奪うかの話になっている。好意的に、これを先行投資を考えることもできるが、そのためには、それなりのビジョンが必要だろう。

例の石碑を建てた人は、いやおそらく人たちは、凄惨な光景の再来を予測した。そして、今、何ができるかを考え、まだ見ぬ愛すべき人たちを救うため(石碑の言葉では児孫の和楽)、お金を集めて石碑を建てた。

そして、この石碑は、数十年後、地域の壊滅を回避することができた。残念ながら、他の地区に出かけていた人4名の方は行方不明だそうだが、建立者のビジョンはほぼ達成できたといえる。

非婚の時代と動物行動学、脳科学

暖かくなってきた。野辺を歩いて通勤駅に向かう途中、そこかしこで小鳥がりりしく鳴き誇っている様子を確認した。繁殖期を迎えた雄鳥たちの声である。

つまり、自分の縄張りを宣言し、雌鳥を誘う婚活の最中なのである。めでたくパートナーが決定すると、超多忙だが、短期集中の夫婦協働の子育てが始まる。

以下、極端な切り口で進めてみよう、、あくまで一つの観点である。

ヒトの場合、これほど明確な繁殖期はない。バレンタインデーとかあるが、年中、各自勝手にやっていられるはず。これを制限する公的制度は、民法上の婚姻年齢制限程度。むしろ、余計な規制は、自然法?に反するといえよう。それは生物としての繁殖権の侵害だ。この権利?ヒトどころか生物レベルなのだから、ある意味、基本的人権よりも重要である。

しかし、暗黙の規制は、事実上ある。たとえば、平日は過酷な労働条件の下で働かされ、休日があっても、すでにあらゆる活力が奪われているような場合だ。そのうち、メンタル的にも破壊されていくことが多い。

立派な若者(もう少し高齢も含まれる)ほど、このような境遇に遭っているのでは。

ほんとに、あちこち、こんな例が多い。とても婚活どころではない。もし、「勤勉な日本人」としてこれを礼賛する者がいたら、日本人の絶滅計画に加担しているといってよいだろう。

この状況を、生物的に表現するなら、家畜化であろう。人文学的には、奴隷状態。

世界史的理念からすると、人間は解放されてきたとされている。フランス革命から始まった自由と平等の思想が、アメリカの奴隷解放にもつながり、日本では封建体制が倒され、文明開化しましたよってこと。

確かに、法制度上は、この過程をはっきりたどるとこができる。私的自治の拡大といってもいい。

けれど、水面下では、公の自由の名の陰で、人をいかにコントロールし、徹底的に働かせるかについて、精緻な仕組みが発達しているように思われる。

社会の進歩、テクノロジーの進歩、そういった進歩とは裏腹に、我々の生物的基盤は種としてのヒトである限り全く変化していない。この乖離はもっと注目してもいいだろう。

いわゆる脳科学的トレーニングとは、この乖離を埋めるための、気休めの処方箋だと思う。それとも、生産性向上の方策だろうか。

ともかく、現役世代は、経済活動として労働を続ける必要があるわけだが、この時期の小鳥の声は、それがすべてではない、と教えてくれている。

大震災とエピソード 誇りと名誉の社会学

ある週刊誌の言葉に、(地元警察官が)津波を背に仁王立ち、とある。この度の震災に対し、多くの献身的な人々の活躍が、世界の注目を集めた。

津波を背に避難誘導を続けた警察官は、多くの人命を守ったはずだ。他にも、守ったものがある。それは、地域住民として、そして警察官としての、名誉である。

名誉とは、古風な観念である。前近代的ともいっていい。たとえば、日本の法体系を考えてみるとよく分かる。近代的な観念、人権には周到な配慮がなされているが、名誉という言葉はほとんどない。刑法に少し記載がある程度。ただし、人権+αみたいな位置づけである。

本来、名誉とは、共同体的、身分的な基盤から発生する観念である。平等や個人主義といった理念からは導き出せない。

しかし、共同体の存続を守る立場にある人たち、制服組の公務員など、個人性を留保することが求められる人たちにとって、この観念は今も重要だろう。

自尊心、これはちょっと違う。今どき、自尊心の高い人は多いが、どちらかといえば、怒り、文句をいうことで、自尊心は発揮される。しかし、名誉、誇りのある人は、黙して行動するものだ。

僕たちは、ある意味名誉なき時代に生きている。近代的な社会とはそういうものだ。いわゆる無縁社会とは、この延長にあるのだろう。だから反面、名誉に殉じる人たちはいっそう輝いて見える。

保育園のエピソード 認知スタイル

いつもの時間、娘を保育園に連れていったら、珍しく子どもはだれもいない。早番の先生はポツンと一人でいる。

「だれも来てない?今日は何ですかね」

「えー、さびしいですよ、私の人気がないみたいで」

事実を解釈する方法は、人それぞれ異なったパターンがある。これが認知スタイル。

愛すべきS先生は、自分の至らなさを心配している(偶然そうなんだ、と合理的に理解していても)。

人によっては、

「今日は楽勝、ラッキー!」

と、喜ぶかも知れないし、

「早起きしたのに、時間が無駄になった」

と、不満を感じるかも知れない。これが、認知スタイルの違い。

客観的事実が同じでも、認知スタイルの違いは、感情の持ち方にも関連している。

ぼくは、娘にいう。「みんなが来るまで、先生がいーっぱい遊んでくれるよ」

娘は、素直に喜んでいる。そして、先生も「あっそぼーね!」と乗る気になった。

どの道、先生が必要とされていることに変わりはない。

認知スタイルの基本は同じでも、きっかけによって感情は好ましい方向に変化しうる。健康な人はそういうものだ。

大震災とエピソード 思い出探し隊

自宅の瓦礫の中から何を探すか?多くの人が家族のアルバムを探している。また、「思い出探し隊」など、ボランティア活動として、これを支援する人たちもいる。

町、村ごと物理的に壊滅するような事態は、個人のまとまりのある経験世界の崩壊でもある。その後は、現実味を失った混沌とした安住できない世界が広がっている。「現象学的社会学」の視点では、このような記述になるだろう。

人は、それぞれ自分の世界を持っていて、その中で、自分の位置を確認しながら生きている。しかし、この”世界”が壊れてしまうと、生きる指針を見失ってしまう。いきなり、「罹災者」ってラベルを貼られてもそれだけでは、困る。

このラベルがあれば、とりあえず衣食住を確保する契機とはなるが、現実感のある自分の経験世界を立て直すことにはならない。

この点、家族を含めたアルバムは強力なツールになる。過去は、変えられない。だからリアル。瓦礫の山を見ても、自分が何者であるかの、手がかりはないけれど、アルバムを確認すれば明確だ。

その中には、亡くなった人たちもいるだろう。家族なら、今の自分への、”リアル”なメッセージを聴く事ができるはず。このメッセージは、恐るべき、認容しがたい現実に対抗しうる手段の一つ。

思い出探し隊って、いい仕事しているなあ。

あなたたちは、罹災者に慰めを提供しているだけでなく、その心の中に社会的現実感を回復させ、さらには、社会生活の再構築に向けた、心理的基盤を補強している。

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