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相撲の民俗学

最近、何かと話題の多い大相撲。民俗学的見地から少し書いてみる。

これ、格闘技かといえば、そうだ。しかし、ボクシングとかプロレスとはかなり違う。見世物としての興行?かなり違う。国家に監督された公益法人が運営主体だ。国技だから別格、だから八百長なんてとんでもない。まあ、そうだろう。

国技というのもなんというか、非常に近代的な発想だと思う。ルーツ的には非常に古い。民俗学的祭祀という側面もある。というか、その方が根っこにヒットするだろう。地方には奉納相撲なんてものがよくある。こちらの方が原型かも。要は、神様も含めたイベントなんだよね。

たとえば、しこを踏む、これは明らかに儀式的である。土地の神様と交流する意味合いがあるらしい。大相撲が地方を巡業するって、これは地方ごとにスーパー地鎮祭をやってるようなものである。

民俗学的にいえば、自然界には神様が充満している。その土地、山、川、海それぞれに神様がいる。力士の名前は、基本的にそこから来ている。でも最近はかなり適当だろうね。かつての連合艦隊の艦の名前もそうだ。地霊のご加護にあやかるという意味合いがあるのだろう。戦艦大和の沈没は象徴的である。

大和は、大和の国(奈良県一帯)の意味でもあり、日本国それ自体の意味もある。だから、イメージ的にも戦艦大和の沈没は敗戦に直結する。

今回の、八百長事件。まさか、大和の何とかって力士はいないだろうね。もともと、そんな大それた名前の力士は相撲界にも居ないと思うけど。

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