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人はなぜ悩むのか 完ぺき主義

時代的な背景もあるだろう、完ぺき主義であるために、必要以上に悩む人が多い気がする。そこで、この完ぺき主義を少し掘り下げてみたい。

理想を求めて努力し、悩むことは結構なことだ。成長する人とはそういう人だ。特段、崇高な理想でなくても、立派な仕事をしようとか、子どもをキチンと育てようとか、誰でも目標を持って生活している。

要は、こうであったらいい、って思って行動している。これが健全なレベル。ところが、万事こうでなければならない!って考える人もいる。これはとても自縛的である。

ある意味、主観的でもある。頭の中で考えたことが、現実世界であたりまえのように実現するなんて無理。子どもの場合は主観と現実が未分化だから、ダダをこねて大騒ぎなんてことになる。ただし、子どもは気分の変化も早い。きっかけを与えればケロリと収まる。知的に優れた人であっても、未熟な主観性を持っている例がある。大人の場合はしつこい。

誰だって、これだけは譲れないってことがあるだろう。しかし、極端な完ぺき主義者は、求めることの構造化ができていない。つまり、何をあきらめるか、あきらめないかの指針がはっきりしない。

何をなすにも、心のエネルギーがいる。気力である。これを効率的に使うことが大切だが、そのためには配分が必要だ。ところが、求めることの構造化ができていないと、有効にエネルギーを使うことができない。どんなに絶対量が多くても、すぐに枯渇して思うことを実現できない。それ自体ストレスだし、エネルギーの枯渇はうつに結びつく。これはかなり深刻な事態にもなろう。

完ぺき主義者は、時にすごい行動力を発揮できるが、一方では、投げやりにもなりやすい。これが自滅的な行動にもなりうる。

こういった極端な行動のブレは、拒食と過食の繰り返しにも関連があるだろう。また、境界例的な極端さもそうだと思う。こういった症例は、とても現代的じゃないかな。

あと完ぺき主義者の気の毒な点は、「減点法」で自分も他人も評価することだ。完ぺきが判断基準だから、現実の事象は、すべてマイナスの度合いで評価されることになる。

端的にいえば、はた目から見てあら探しばかりする。これでは、社会生活にも支障がでる。本人の感覚とズレているから気の毒である。

高度な資本主義社会では、とにかく草の根分けてでも消費者の要求を探し出すことに重点が置かれているから、誰もが注意した方がいいだろう。欠乏感覚を喚起しなければ仕事のならない仕組みがある。

もちろん、そこに儲けを見つけてもいいけど、距離を置く配慮も必要。

哲学的な処方箋を考えると、「足るを知る」って感覚。これは、東洋哲学でいう老荘思想にある。そのうち、このブログでも詳しく書いてみよう。

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