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封建主義再考 ある東北旧家の記録

ある東北の旧家に係る相続案件を手がけたときのこと。古い戸籍を調べていたら、不思議な人物を見つけた。

これは一連の明治期の戸籍だった。家長制度に即した戸籍であり、江戸時代生まれの人も登場する。現在の核家族単位の戸籍とはかなり異なっている。

その人物を、仮に「弥太郎」としておこう。家長である。不思議なことに、世代が代わっているはずなのに、弥太郎氏はいつも家長である。記録にある分だけでも3世代分。

「一体何年生きているのか?」よく調べてみると、それは襲名だった。つまり、家長になった者は、生まれたときの名前を変え、弥太郎の名を引き継ぐのである。だから一見しただけでは分からない。

「個人主義」を当然とする発想からすれば、こういった事実はサプライズである。この場合、名前とは、個人を識別するものというより、社会的役割を表示するものになっている。

今どきの子どもたちは、どうだろう。ユニークというか、慣習にとらわれないぶっ飛んだ名前もある。いわば、「個人主義」最先端の名前を競って付けられているわけだ。ある意味それは、前例なく自由に生きろ、と期待されているようなものだ(個人主義は自由主義とここでリンクする)。

先の弥太郎には、このような近代的自由はなかったといっていい。農家だったから、伝来の土地を耕作することが当然、かつ、家長としての責任もある。

けれど、その分、「自分探し」なんて面倒な苦労はしなくて済む。封建主義とは、これが自動化しているシステムでもある。

「自分探し」といえば、現実問題、進学先どうする、キャリア形成しろ、就職活動がんばれって大変だよね。

おまけに就職氷河期に遭遇することもある。いくら自由な世の中でも、景気を変える自由なんてだれにもない。だから、思いどおりの自分になるなんて本当は至難のわざだと思う。

今でも自由とは、つつましく楽しむもののようだ。弥太郎さんはどうだったのだろう。

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