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幼児の経験世界 パワースポット

休日、お決まりの散歩道を歩く。うちの娘は、小さなお堂の前に来ると、「なむなむ(南無南無)するー」とせがむ。2歳なりに、そこが特別な場所とされていることを知っているようだ。

鈴を鳴らしたり、お賽銭を入れたり、チンっと鉦をたたくことに興味を持つことはもっともだが、こういったアイテムがすべてではないようだ。反抗期絶頂のくせに、ここでは素直で神妙である。じっと「なむー」と手も合わせている。

寺、神社でも教会でも、畏怖すべき対象を演出する点では同じだ。1歳のころ、実家の仏壇に怯えたように、このお堂も最初は怖がった。M.エリアーデだっていっている。宗教的な感覚とはそういうものだろう。おそらく、こういった宗教的畏怖の念は生得的な基盤がある。これに、込み入った文化的装飾を加えると、既成の宗教になると考えた方が自然だ。

いわゆるパワースポット。これはオカルト科学+健康法みたいなものであるが、悪い風潮とは思わない。しかし、「畏怖の念」はもう少しほしい。自分の身の程を計るすべ、と言い換えてもいいだろう。たとえば、巨岩や巨木を前にして、自分の存在のはかなさを感じ入るような感覚だ。もう少し深めると、至らない自分が、恩恵をうけて生きているという感覚。これは道徳性とも関連する。

世の中あげて、人間の能力の機能拡張が推進されている風潮がある。心理的には自我肥大というべきか。この風潮に付き合っているうちに、知らず知らずに傲慢になってしまうと思う。実際、科学技術の進歩に裏づけられてはいるが、幸福感との整合性はどれほどあるのか。こんな心理系卒論の題材はどうだろう、携帯電話の使用時間と幸福度の相関関係。

たとえば、「今日はお日様が出てくれてありがたいなー」って、朴訥な幸福感。どうしたら感じられるだろう。ここを押さえておけば、アホらしい人間関係の軋轢にも距離を置ける。そのためには、逆説的に、”本当に”小さな自分を認める必要がある。

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