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大阪2幼児虐待死事件その2 K.ローレンツ的に考える

この事件、刑法上の罪名も議論になるだろうが、それはさておき、自然法上?の事件でもある。つまり哺乳類の義務違反に相当するからだ。

哺乳類が育児放棄したら、すぐに種の絶滅である。しかし、動物園の哺乳類が育児放棄をすることは珍しくない。その大きな理由は、本来の生態学的環境ではない人工的な環境におかれているため、生得的な養育のメカニズムが働かないことにある。

人が育てたチンパンジーは子どもを生んでも捨ててしまう。変なものが出てきた、くらいにしか考えていないらしい。チンパンジーにとって、”自然な”群れの一員であることが、生得的な養育のメカニズムを発現させるのだろう。このあたり、人間にあてはめるならば、文化との関わりの問題になる。

そもそも、人間とは、本能の壊れた動物(ホモデメンス)なんだから、”本来の生態学的環境”や本能など想定することは無意味、やはり文化だよ、と考えることも可能だ。

文化なしの人間なんて人類史上あるのか。人間の自然性を否定するのは、ローレンツに反論したA.ゲーレンの立場(哲学的人間学)。

ローレンツの説はきわどい。過剰に人工化された人類の生活環境が、生得的人間性(遺伝子レベルで)を破壊しつつあると述べているからだ。さらに論拠に踏みこむと、世の中のヒューマニストは慄然とするはず。そこには、自然淘汰説がある。

以上、こんな考えもあるということでとどめておきたい。

少なくとも、事実上、1歳児と3歳児を一人で育てることはかなり難しい。1歳児なら乳を飲む、かつ歩行もする。それだけでも目が離せない。そもそもヒトには極端に手間のかかる長い養育期間がある。A.ポルトマンの説では、生物学的に早産(生きるうえでまだ不完全)であることが、人間らしさの基礎になっているとされる。

(原始時代を含め)昔だったら、母親のみが乳飲み子を抱えて、社会から孤立して生き抜くことはほぼ不可能に近い。地域の共同体なり、親族が育児に参加しするなら可能だろう。核家族でも大変だ。ところが、その多くがなんとかやっている現状、そこには物質的な豊かさ、と行政的な関与があるからだ。

この事件、単純に考えるならば、住民票の移転手続をしなかったことが重大。だれがどこにいるか、これを公的に明らかにするだけで全然違う。保育園なり子ども手当てなり、その他いろいろ、自治体によってはベビーシッター手当てなんてものもある。そのためには、正規の住民でなくてはならない。

というか、考えてもいなかったようだ。このように社会から無縁であること、それは生物学的・人間学的に基本的な人間性、人間力の問題である。

幼児虐待の認知件数は、20年で約40倍、担当職員数約2倍だそうだ。一方、税金の無駄遣いをなくせ、公務員を減らせって議論も盛んである。

この事件を契機に、法改正と担当職員数の増員が図られるだろう。けれど、いっそう行政頼みの傾向も増していくだろかうから泥沼である。

せめて、「行政頼みにしない文化向上計画」くらいほしい。

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