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2010年8月

マトモな死に方についての臨床心理学

ナチス占領下でのポーランドでのできごと。母は娘に伝えた。

「どんなことがあってもガス室でしんではいけません。むしろ弾に当たって死になさい」そして、娘は射殺されることを選んだ。その方が人間の尊厳を守ることになるから。

これは、今日の日経新聞、コシノジュンコさんの記事。

今の日本の雰囲気、ぼくはこう感じる。

「自分らしさを追求し、人生をエンジョイしなければ、生きてる意味がない」

不況だ何だといっても、大体こんな感じだろう。その時代に即したいい暮らし望むことに異存はないけれど、自分の生活に望むことのさじ加減は重要である。しかし、資本主義社会というものは、個人の要求を高めておかないと成り立たないから、洗脳されないように気をつけた方がいい。

たとえば、理想の家に住むべく、住宅ローン減税もあるとか理由をつけ、無理な住宅ローンを組むような場合、これは洒落にならない。だったら儲けている銀行に投資したほうがいい(ってサブプライムローン問題もこんな感じ)。

自分らしさとかこの価値観、マトモに信じたら結構疲れる。頭の中で考える要求の水準と現実の乖離が大きすぎるからだ。生きてるだけでも幸せ感じろ、とはいわないが、要求水準が高すぎると、不平、不満だらけになる。

最悪のケースは、社会を憎悪して、自滅的な凶悪犯罪に走るパターンである。こういった人の思考の問題点は、身のほどを客観視できないことにある。それでも、死刑執行はz慈悲深い?なんとか”マトモ”に死ねるようそれなりの配慮がなされているようだ(判例もある)。

はっきりいえば、大人になるということは、”身のほど”を適切に管理できることだ。ところが社会の仕組みとして、過剰な期待が持たれるように操作がなされている。

社会学者 ピーターL.バーガーいわく。

「大人になるということは、自分の生涯年収の見通しを立てることができ、また、これを受け入れる状況にあり、そして、自分の配偶者がこれ以上魅力的になることを期待しないようになることである。」

そうすれば、大体マトモな死に方ができるだろう。プラトンだって、哲学を学んで今から死に方の訓練しておけ、といってる。

ある席上、大学の卒業生に贈る言葉として、ぼくは先輩としてこの言葉を選んだ。「ハー。。。」ってため息が漏れたぞ。今頃みんな大人になったかな。ぼくもそのように努力しているけど。

三浦半島のこと 初期のサムライたち

この夏、三浦半島を旅行したので書く。この半島は、全国の三浦さんの故郷である。三浦一族は源平合戦で名をはせ、鎌倉幕府の創設期に大いに活躍した海事にも強い武士団であった。三浦のいう名前自体、海をイメージできる。

三浦一族、スコットランド的にいえば、クラン(氏族の単位)の一つである。スコットランドなら、拠点となる城の一つくらい残っているはずだ。しかし、有力氏族であったことがかえって災いし、北条氏によって全滅されている。とはいえ、遠方で抹殺を免れた縁者も多いはずだから、今も三浦さんたちは栄えている。部門の誉れ高い名前だから、あえて後世に名乗る場合もあっただろう。

三浦一族の力がなくては、鎌倉幕府なんてなかった。当初ほぼゼロから始まった頼朝の挙兵を支えたのは、この一族である。

都の人々を震え上がらせた猛々しい坂東武者の中核であったが、政治力が弱かった。だから頼朝亡き後、陰謀的に力をそがれていき、市街戦の末に消されてしまった。歴史的に沢山ありそうな話である。兵力から政治力に力点が動くことの結果である。

頼朝ゆかりの法華堂に追い詰められ、ここがその最後の地となった。現在の、頼朝の墓の近くらしい。氏族の長、三浦泰村以下、500人以上が腹を切って終末を迎えた。

以上、司馬遼太郎の「三浦半島記」を参考にしている。

初期のサムライ社会とはこんな具合。スコットランド(ハイランド地方)の歴史にもよく似ている。氏族間の潰し合いの歴史である。

サムライの社会といっても、江戸幕府以降の完成された封建主義社会とはかなり様相が異なっている。その大きな理由の一つは儒教倫理の確立にあるのだろう。

あと余談、三浦さんのほか、和田さん、畠山さん、梶原さんなど鎌倉幕府に関連する近隣氏族の名前である(ひどい目にも遭っている)。みなさん関東では割とポピュラーだし、僕には知人・友人もいる。しかし、肝心の源(みなもと)さんには会ったことがない。歴史とは皮肉なものである。

ブルターニュ音楽入門 Gilles Servat のこと

重い内容の記事が続いたので音楽について。以前ブルターニュの友達から送ってもらったCDを聴きなおした。Gilles Servat のライブである。

かなりいい。かつ残念。残念とは、僕がフランス語をろくに知らないからだ。ジルは歌手だからCDに合わせて歌ってみたいと感じる。

ヒゲ面の渋いオジサンである。アイルランドとブルターニュのダンス曲を取り入れコンテンツは多様。バグパイプなど伝統楽器も効果的に使用している。。いわばケルト系ポップスというべきか。ロック的なノリが軽快。バラード的な曲も多く、フランス語の響きが味わい深い。

コテコテのケルトではなく、なじみのない人にも聴きやすいだろう。

大阪2幼児虐待死事件その3 臨床心理学的アセスメント

被疑者について、これまでの報道を基に、刑務所や少年鑑別所で行われる調査レポート式に書いてみた。もし、心理学を学んでいる方がいたら、参考にしてもらえたらと思う。

知能、基礎能力

知能は中の下、知的障害は認められない。しかし、社会生活上必要な基礎知識が備わっていないこと、そして性格上の偏りが大きいために実生活上相当な困難がある。

性格特徴

平素の行動からは、明るく快活な印象を受けるだろう。ただし、自己愛的傾向が顕著である。他者から自分を受が入れられ、評価されることに大きな関心を持っている。そのため、表面的な自己演出に長けているものの、情緒的交流は貧困である。他者の感情を感じ取り、また思いやることが難しいからである。これは非言語的なコミュニケーション能力の乏しさを伴う可能性がある。また、他者を意識した場面と、そうでない場面では、その行動に重大な違いがあることも推測される。

身近な社会的資源を活用することも、知能、基礎能力面から難しい。かつ、対人関係は表面的なものに終始し、機会的な関係に終わることが多い。このため、社会生活は著しく不安定なものになる。本来ならば、深く悩み、葛藤する心理状況が想定されるが、本人は認知的に、これを回避していたことが推測される。

つまり、自身によって不快なもの、面倒なものを見ない、感じないという選択的認知である。この防衛的認知方法は、相当に未熟で主観的な性格であることも示唆しているといえよう。これは、自己愛と並び、本人を特徴づける点である。

精神障害

薬物使用歴については未確認。あったとしても、本犯に関連性の薄いエピソード的なものだろう。本人なりに合目的性を持って行動できている点、幻覚等異常体験も確認できないので統合失調症等狭義の精神障害は現在のところ推測されない。

ただし、広義の精神障害として、自己愛に関連した人格障害の可能性は高い。

大阪2幼児虐待死事件その2 K.ローレンツ的に考える

この事件、刑法上の罪名も議論になるだろうが、それはさておき、自然法上?の事件でもある。つまり哺乳類の義務違反に相当するからだ。

哺乳類が育児放棄したら、すぐに種の絶滅である。しかし、動物園の哺乳類が育児放棄をすることは珍しくない。その大きな理由は、本来の生態学的環境ではない人工的な環境におかれているため、生得的な養育のメカニズムが働かないことにある。

人が育てたチンパンジーは子どもを生んでも捨ててしまう。変なものが出てきた、くらいにしか考えていないらしい。チンパンジーにとって、”自然な”群れの一員であることが、生得的な養育のメカニズムを発現させるのだろう。このあたり、人間にあてはめるならば、文化との関わりの問題になる。

そもそも、人間とは、本能の壊れた動物(ホモデメンス)なんだから、”本来の生態学的環境”や本能など想定することは無意味、やはり文化だよ、と考えることも可能だ。

文化なしの人間なんて人類史上あるのか。人間の自然性を否定するのは、ローレンツに反論したA.ゲーレンの立場(哲学的人間学)。

ローレンツの説はきわどい。過剰に人工化された人類の生活環境が、生得的人間性(遺伝子レベルで)を破壊しつつあると述べているからだ。さらに論拠に踏みこむと、世の中のヒューマニストは慄然とするはず。そこには、自然淘汰説がある。

以上、こんな考えもあるということでとどめておきたい。

少なくとも、事実上、1歳児と3歳児を一人で育てることはかなり難しい。1歳児なら乳を飲む、かつ歩行もする。それだけでも目が離せない。そもそもヒトには極端に手間のかかる長い養育期間がある。A.ポルトマンの説では、生物学的に早産(生きるうえでまだ不完全)であることが、人間らしさの基礎になっているとされる。

(原始時代を含め)昔だったら、母親のみが乳飲み子を抱えて、社会から孤立して生き抜くことはほぼ不可能に近い。地域の共同体なり、親族が育児に参加しするなら可能だろう。核家族でも大変だ。ところが、その多くがなんとかやっている現状、そこには物質的な豊かさ、と行政的な関与があるからだ。

この事件、単純に考えるならば、住民票の移転手続をしなかったことが重大。だれがどこにいるか、これを公的に明らかにするだけで全然違う。保育園なり子ども手当てなり、その他いろいろ、自治体によってはベビーシッター手当てなんてものもある。そのためには、正規の住民でなくてはならない。

というか、考えてもいなかったようだ。このように社会から無縁であること、それは生物学的・人間学的に基本的な人間性、人間力の問題である。

幼児虐待の認知件数は、20年で約40倍、担当職員数約2倍だそうだ。一方、税金の無駄遣いをなくせ、公務員を減らせって議論も盛んである。

この事件を契機に、法改正と担当職員数の増員が図られるだろう。けれど、いっそう行政頼みの傾向も増していくだろかうから泥沼である。

せめて、「行政頼みにしない文化向上計画」くらいほしい。

大阪2幼児虐待死事件について 正義をシンプルに考える

この事件がいかにおぞましいか、いろいろ事実が明らかになっているが、別な角度から考えてみたい。

たとえば、路上で大人が子どもに殴る蹴るの暴行をしている状況があるとして、とりあえず「やめろー!」と言う。「うるせーうちの子の躾だー」と相手が答え、暴行をやめない。そこでこの親をぶっ飛ばして、暴行をやめさせる。

これは度が過ぎないかぎり正当防衛である。いちいち刑法の難しいこと抜き、アンパンマンだってやってることだ(ちゃんと警告してパンチしている)。

ところが、子どもを勝手に保護したらまずい(誘拐だ)。この親子が家に帰ったら、続きがありそうでも、民間人のできることには限界がある。本来は、児童虐待防止法に基づき、児童相談所が対処することになる。

ところが児童虐待防止法は極めて使い勝手の悪い法律である。改正されたとはいえ、プライバシーや親権に配慮し、非常に煩雑な手続を踏むことでやっと、強制保護を実行できる。端的にいうと、いかにやむを得ないことであるかを、裁判所に立証しなければならないからだ。だからなかなか実例もない。

どっかの独裁国家(国家=正義)ではないから、国家(行政)が家庭に踏みこみ、子どもを奪い取る(保護する)ことが簡単にできても困るが、まだ現状ではバランスが悪いように感じる。いわば絵に描いた餅的法律である。

実務上の負担も大きい。膨大な調査、書類が必要になるだけでなく、立てこもる両親相手に、特殊部隊(児童相談所職員+警察)が突入し、救出するような事態もありうる。

事実、最初の事例(20年12月)はこれに近いものだった。父親は鉄棒をもって立ちはだかり、母親はドアチェーンをして抵抗した。なんとか説得のうえ(行政はやさしい?)、ゴミの山の中にうずくまる子どもが救出されている。

今回の事件では、親が徹底抗戦したわけでなく、そもそも家にさえろくにいないことが問題だった。だから、とりあえず親に連絡をとり、子どもがだれかを確かめ、、、、なんて法令に定める手続が定石どおり進むわけがない。公務員だから、法令に従う必要があるとはいえ、これではあまりにバカ正直である。

結局、異臭がするからということで、警察が動き、おぞましい光景が明らかになる。そこには夏の最中、冷房も食料のない部屋の中で、膨大なゴミの隙間で裸(暑かったろう)の姉弟が汚物にまみれ寄り添っていた。3歳の姉なら、弟を最後まで気遣っていたはず。

だれかの子どもが泣き叫ぶからといって、いちいち警察の出動を要請する必要はない。よくあることだ。しかし、ベランダまでゴミが溢れる家の住人の精神状況(先の件でもゴミだらけである、これは重要な指標だろう)は容易に察しがつく。そこに、幼い子どもがいるとしたら、どんな扱いを受けているか。その他異常なことが相当あるだろう。通常、常軌を逸したことが起きる背景は、けっして突然ではない。

「警察官職務執行法」という短い法律がある。この法律によれば、警察官が保護しなければならない者として、適当な保護者が見当たらず、応急の救護を救護を必要とする者があげられている。これは、実にシンプルな正義の実現である。アンパンマンが日ごろ行っていることだ。これにもう少し想像力+連携が欲しかったと感じる。

アンパンマンだって誤解があるかも知れない。はずれだったらどんな責任があるだろうか。こんな事件が実際あった。

夜間、男にまとわりつかれた女性がいた。そこに、空手を習っている英国人男性が通りかかった。この男女の出来事は、飲み仲間の戯れに過ぎなかったが、女性は、この英国人男性に「ヘルプー」と叫んだ。この瞬間、英国人の強烈な回し蹴りが炸裂し、結果、男は頭を強打して死んでしまった。

裁判の結果、英国人男性は無罪。寛容過ぎるという世論もあったが、それなりの状況が斟酌されたのだろう。これに比べれば、それなりの状況下で他所の家の扉を開けることなど何でもない。

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