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2010年7月

工藤俊作のこと サムライとは

興味深い人物なのでコメントしてみたい。

工藤俊作とは、昭和42年3月、極めて危険な状況の中、海上を漂流する422名のイギリス海軍将兵を救出し(自艦乗員の2倍)、介護した駆逐艦雷(いかずち)の艦長のことである。この出来事、”人道的暴挙”ともいっていい。戦場で停止した軍艦などカモである。また、反乱でもされたら艦が乗っ取られかねない。この判断、それなりに考えただろうが、軍人の枠を超えている。

救出されたイギリス海軍士官は、これを後に騎士道とたたえ、日本では彼を最後のサムライとも呼んでいる。その経緯は本にもなっているし、ネット上の記載も多いので省く。

できすぎた話だ。救出した敵の士官を集めて、流暢な英語のスピーチまでしている。その内容も気が利いている。

「貴官らは勇敢に戦った。今は日本帝国海軍の名誉ある客人である」と安心させ、艦内・艦上にあふれる敵兵には一つの規則しか与えなかった。「夜間喫煙厳禁(タバコの支給もしたから)」。

豪快である、かつスマート。当時の日本では、鬼畜米英だ、さらには一億火の玉だ、とか言ってた時代に、である。英語なんて使ったらスパイ扱いで取調べされそうだ。スマートとは、本来の意味でスマートである。

そういう性格といえばそれまでだが、彼の精神性の背景を知りたいと思った。

彼の出身校をみると、現、山形県立米沢興譲館高校、かつての米沢藩、藩校である。米沢藩といえば、上杉鷹山や直江兼継が思い浮かぶが、関係は十分ある。直江兼継の禅林文庫が後世に上杉鷹山によって再興され、興譲館となったとされる。

藩校とは、武士のための儒教教育の場である。だから彼の学んだ当時にも、この精神は濃厚にあったと推測したい。また、この学校は、明治4年から英語教育のコースも作っている。語学の伝統も加わったといえるだろう。

直江兼継の「愛」がこのエピソードに関わっているといえば、嘘だろう。当時と今では意味が違う。しかし、「興譲」ってことばは気になる。

これは、当然に儒教の経典からきている。

「一家仁一国仁、一家譲、一国興譲」つまり、仁と譲の徳目がこの学校の建学精神である。今どき建学精神なんて、あまり気にしないが、当時としては藩政改革、人材育成が急務の課題であった。彼の学んだときにも、この遺風があったに違いない。仁は分かるが、譲は珍しいように感じる。

それは、ざくっといえば、仁=真心と思いやり、譲=尊大にならない自制でもって国家を支える立派な人になりましょう、ということだ。

彼は、当時当然に行われていた暴力による私的制裁を禁じた艦長でもあったそうだが、こういった教育背景も関係しているかも。裏を返せば、暴力に頼らないリーダーシップが可能であったということ、これは儒教の実践的理想である。だから困難な救出行為の実現もできた。いかに軍隊といえども、今なら「マジですか・・」ってことになるだろう。しかし、乗員たちはよく働いたようだ。

海上に放置された敵兵を救うなど、まさに仁、礼節ある対応をする行為は譲に相当する。実に母校の精神を体現している。彼が武士道に従ったとすれば、これがコンテンツである。

もう一つ。当時は交戦中であったとはいえ、もともと日本海軍は相当にイギリス海軍の影響を受けている。これは士官のマナーまで及んでいた。

戦後、英国に学んだ元海軍士官がそのマナーにおいて絶賛されたことがあったそうだ。「これほど正統なマナーはここでも廃れている」とか。彼に騎士道もあったとすれば、このあたりの事情もあるはず。マナーとは貴族の子弟の学ぶ寄宿制学校=パブリックスクールのマナーのことである。もともと英国の貴族とは軍事的意味合いも強い。

彼の英語スピーチにはこんなくだりもある。「私は英国海軍を尊敬している」。これはリップサービスではなく、本音だろう。海軍士官なら、英国との深いかかわりを心得ているはずだからだ。

しかし、戦争とはやはり非情である。その後、彼が駆逐艦雷を去ったのち、雷はアメリカの潜水艦によって撃沈されている。生存者なし。

ホラーマンに学ぶこだわらない生き方

ホラーマン、すなわち「アンパンマン」登場キャラの一人。とりあえず悪の側に属しているが、積極的に悪をなすわけではなく、成り行き上そうなっている。それは、ドキンちゃんに片思いしているからだろう。

特殊能力はその修復力。骨の集まりなので、破壊されても自前ですぐ元通りになる。この点は、ジャムおじさん頼みのアンパンマンよりすごい。

打たれ強さといってもいい。これは精神面も含む。いくらドキンちゃんから冷たくあしらわれても全然気にする様子もない。つまり、いくら愛しても、当然に報われることまで期待していないのだ。だから、ストーカーのように愛が憎しみに転じることもない。

そこで臨床心理学。ホラーマン的な強さとは?

それは、こだわらない生き方。バイキンマンはアンパンマン打倒に燃えている。そしてアンパンパンは、平和を守り、人を助ける戦いを続けている。だから対決ドラマが展開するのだけれど、どちらも疲れる生き方だ。

つまり、両者はこうあらねばならないと、現実を変えることにこだわっている。しかし、ホラーマンは、現実を受け入れ順応することに徹している。こういった人は、絶望や悩みがない。

それが健全かといえば、そうではないだろう。生きがいまで失ってしまいそうだ。しかし、過剰なこだわりが人生をうまく回らなくさせていることは多い。だからバランスが必要である。

現実問題として、精神的な健康のためには、○○○しなければならない、といった思考法を過剰に持つより、これを○○○したほうがいい、に変換することだ。心理療法の一つ、論理療法の基本には、こういった考えがある。

文化としての幽霊 イスラム圏に幽霊は出ない?

私たちは、現実をそのまま見ることができない。個人的経験なり、共有する文化のフィルターを通して”現実”とされる対象を認識している。

日本、イギリス、アイルランド、これらの国には幽霊の文化がある。だから出来事としての幽霊遭遇話が生まれる。

僕がイスラム神学者から学んだことによると、イスラム教では、肉体とともに魂があるとされている(かなりマトモな発想である)。肉体は死んでいるとしても、死者の魂は、いわば眠った状態にあり、最期の審判のときに魂が神の前に呼び出されるのだそうだ。基本的にキリスト教も最後の審判を想定しているが、イスラム教の方が徹底していると考えることができるだろう。

したがって、イスラム圏では、魂が勝手に一人歩きしたり、特定の場所にとりついたりすることはありえない、とされる。つまり、幽霊は存在しない。

では、「見ちゃった」って場合どうするか、それは、”ジン(精霊)”の仕業と解釈される。このジンとは、悪魔でもなく、天使でもないその中間の霊的存在のことらしい。つまり、イェーツの説くところの妖精みたいなものである。イスラム教では、そこそこ人に害をなす精霊を認めても、幽霊の方は認めないわけだ。

お盆のこと

もうすぐ旧盆の季節なので、お盆について書く。

江戸時代の奉公人には、週休なんてものはなかった。日曜日は休みなんて、明治以降の習慣である。これは古代ユダヤ教に由来している。ローマ時代のある文献には、ユダヤ人は7日中の1日を休む怠け者だ、と記載されているそうだ。これがキリスト教に受け継がれ、宗教性抜きで日本でも取り入れられた。

江戸時代の奉公人では、盆と正月には帰省できることが慣例。盆は特別な休暇なのである。何が特別かといえば、祖霊たちを迎え入れるための期間だから。つまり、これも宗教行事なのだが、本来の仏教とは言いがたい。

江戸幕府は、江戸の町の膨れ上がる人口と発生するゴミ対策に頭を悩ましたが、特にお盆の季節は、大量のゴミ(お盆の祭祀に関連するもの)が発生し、ゴミ政策を加速することになったとされる(おかげで埋立て地が増えた)。江戸庶民も、お盆には力を入れていた証拠である。

日本の風習に従えば、お盆くらい祖霊のたちと過ごしましょう、ってことだ。故郷(田舎)とは、本来そういう場所だろう。宗派にもよるけど。

いわゆるハローウィンは、日本の盆に似ているという指摘がある。けど、本質的に異なる点は、死者たちのありがたさ、である。ハローウィン的には、気味の悪い連中にすぎないが、日本では、ご先祖様である。

つまり、ご先祖様を敬えばいいこともあるし、それが義務でもあるという発想。たとえば、遺言書の条文の中に、祭祀の継承者を指定を入れることも多い。もちろん、この文化は、家族制度の変化によって、薄らいできてはいる。もし夫婦別姓なんて導入されれば、さらに加速するだろう。

霊能力者なるものが、テレビに出て芸能人の守護霊様のお告げを伝える、なんて番組もあったが、これも日本の祖霊崇拝の新バージョンにすぎないと思う。むしろ、”普通”にご先祖と向き合う文化的仕組みが解体しつつあるから、こういった新バージョンができるのだと思う。

少なくとも、亡くなった人たちにアクセスする回路を絶たれ、自分のルーツと縁もゆかりもなく、全く自律した個人で生きていくようなライフスタイルは、精神的に健康ではないのでは、と僕は思っている。ぼくは、これを”むき出しの個人主義”と呼んでいる。

夏特集、アイルランドの幽霊

夏本番なので幽霊モノを書く。アイルランドの幽霊に季節性はないけれど。日本との比較も面白い。

以前、アイルランドで幽霊カレンダーを購入した。これは凄かった。雰囲気抜群である。とはいえ、そのものではなく、伝承のある古城などをそれらしいイメージで撮影したものである。加えて幽霊の由来解説付き。この題名、”Haunted Ireland(とりつかれたアイルランド)”。

この時期、日本でも「ここに出ます」的な幽霊本・雑誌が出版されるけれど、こういった事件の現場は生々しすぎたりする。この点、アイルランド物は、程よく風化が進んでいて、なかなか文学的である。

数百年物の建造物がごろごろしている点では、幽霊を楽しむ要素に事欠かない。幽霊解説本もあるが、日本のものとかなり異なっている。観光ガイドみたいなものだ。アイルランド旅行の一興になるだろう。

ただし、イギリスのように地域で競い合うものではなく、幽霊が観光対象化しているとはいえない。って、これは本当である。イギリスの大きな都市なら、ゴースト・ツアーが”普通に”ある。観光客向け、地域住民のサービス+小遣い稼ぎみたいなものだ。

日本では、幽霊を恐れる文化が強い。生身の人間に祟ると考えられてきたからだ。ところが、アイルランド、イギリスに関しては希薄である。過去の幻影みたいなニュアンスなのだろう。だから、それなりの歴史的建造物なら、幽霊の一人や二人出ないことには様にならない。たとえ無理してでも、話を作るのではとも推測できそうだ。

東北には、幽霊ではないが、”ザシキワラシ”の出る旅館があった(残念、火災で消失)。このニュアンスで考えればいい。これが、幽霊では仕事にならない。幽霊ツアースポットなんてとんでもない話だ。ところが、彼の国の由緒正しいホテルなら格式にも関わる?かなり具体的な言及が地域ガイドブックにあったりするが、それは法的問題の外なのだろう。むしろ、ホテル側のPRかも知れない。

アイルランド旅行のおすすめ クリフデン(Clifden)

なんだか、ドイツ語みたいな名前である。アイルランド語では、An Clocha'n。

この時期、この小さな最果ての町は、大いに盛り上がっていることだろう。

アイルランドはユーラシア大陸の西のはずれにあり、アイルランドの西のはずれにこの街がある。それは、広漠としたコネマラ地方の荒地にあり、大西洋の風にさらされている。

いわば、コネマラの首都、しかし小さな街だ。市街地を10分で横断できるだろう。このコンパクトさ、いかにもアイルランドの街である。

重要な観光拠点であり、夏の間は観光客で人口が膨れ上がる。その多くは、他のヨーロッパ諸国の観光客である。

パブが多く、それぞれのパブで夜な夜なライブが行われている。音楽通にはたまらないだろう。ただし、すべて”本物”かどうか、かなり観光客向けにアレンジされた演奏曲目であったりする。とはいえ、ミュージシャン層は厚く、独自の伝統音楽の継承が確かにある。

フィドラー(フィドル奏者)が多いようだ。フルート奏者は見たことがない。これは、ご当地の傾向だろう。行きつけの民宿のおかみさんの姪っ子は、シャロン・シャノンの日本公演に参加したフィドラーであった。

腕に少し自信を持つならば、観光客への寛容さによって、セッションに参加させてもらえるだろう。ただし、よほどの腕前でない限りあくまで余興であることを心得ること。僕は調子に乗りすぎたことを、一生後悔するつもりである。

観光客向けケイリー(ダンスと音楽のイベント)に参加したことがある。最初にお客に対して呼びかけがあった。「アメリカから来た人は?」「オー!」「フランスから来た人は、、、」こんな具合に10カ国くらい続き、「他の国の人は?」となり、僕が「Japan」と応えることができた。驚きの拍手がありがたかった。

アイルランド旅行のおすすめ アキル島(Achill Island)

アキル島の知人から手紙が届いたので返事を書いた。ここはおすすめの場所なのでご紹介する。

アキル島は、アイルランドの北西Mayo県の端に突き出た大きな島である。フェリーは不要、本土から橋を渡ることができる。メリングの小説、「夏の王」の舞台であるほか、日本ではよく知られていないが、なかなか盛りだくさんの島だ。

史跡はそれほど多くないが、アイルランドの定番、古城、古代墳墓はある。しかし修道院はないようだ。ただし、近くの本土には、海に面した美しい修道院の廃墟がある。そしてちょっと珍しいのは廃墟村である。他の地域では聞いたことがない。

自然が変化に富んでいる。高い山、湖、広大な湿原、断崖を縫う道があり、砂浜も多い。トレッキングからマリンスポーツまで楽しめる。海産物料理もおすすめ。

民宿も多く、宿泊場所に困ることはないだろう。大西洋を臨む民宿など最高だ。で、音楽はどうか、この点について僕はリサーチ不足。

日本なら行くなら、シャノン空港から車に乗って、かのスーパー観光地、コネマラを北上するルートがよいだろう。この場合、Doo Lough Passを通るのが絶対のおすすめ。大渓谷を突き進む道である。

そして、Clew湾にぶつかり右折、しばらく進むと右手にアイルランドでもっとも聖なる山、クロー・パトリックが見える。Mayoの大都市?Westportあたりの通過が少し面倒だが、こうしてClew湾を逆時計回りに半周すると、アキル島に行き着く。

ほんとうはすごい、バイキンマン(ユング心理学の視点から)

彼は、理工学の知識に精通し、自ら工具を取り新たな技術の開発に余念がない。また、多くの部下を抱え、そのリーダーでもある。そのうえ、身寄りのないわがままな女の子を引き取ってもいる(ドキンちゃん)。ドラッカーだって評価すると思う。

これがバイキンマン。見方によれば立派な経営者だよね。他のアンパンマンの主要キャラは、超能力や魔法?にばかり頼っているけれど、バイキンマンは自分で溶接の作業をしているぞ。地道だなぁ。

ジャムおじさんは、一見数少ない普通の人間キャラ、まっとうな職人のようだけれど、アンパンに命を吹く込むなんて、魔法使いというか、錬金術師だね、この人は。バイキンマンに比べむしろカタギじゃない。

アンパンマン・ワールドの住民の中では、バイキンマンは異色というか、意外に一般人である。しかし、その偉大な点は、毎回実現しようのない悪事を試み、アンパンマンにボコボコにされること。

その結果、アンパンマン・ワールドに正義と愛が再確認され、望ましい何かが起きる。一方、バイキンマンは不名誉な立場を背負う。自らをおとしめ、世の中の活性化に身をささげているようなものだ。

ユング心理学でいえば、トリックスターである。秩序を壊すが、これが刺激となり、新しい秩序が生まれる契機を引き受けているということ。やはり本当の悪ではないんだよね。

皆さんの会社や学校にトリックスターはいますか。やたらいても困るし、いないのも良くない。世の中はバランスでなりたっている。これはユング心理学の応用。

アンパンマン最新作について

つまり「ブラック・ノーズと魔法の歌」のこと。中谷美紀が声優を演じる新キャラがいい。ネタばれしない程度に書く。

これ、一言でいえば、アンパンマン主題歌自体がテーマ。憂いのある新キャラ=カーナの葛藤がせつなく、胸を打つ。絶望の状況の中でカーナが歌いだすシーンが圧巻、泣ける演出である。みなさんも泣くべし。観客も歌いだしたぞ。

アンパンマンとは、際立って倫理性の強いアニメだと思う。ストイックな利他性というべきか。アンパンマンは、空腹の人がいれば、顔をちぎって分け与えるが、ほとんど聖者の行いである。

主題歌自体、明るいマーチなのだけど、歌詞にはなかなか重いものがある。実写的にこういった題材を出すと、かえって閉口してしまうものだ。しかし、初めから独自の世界の中なら素直に聴ける。むしろ、これは大人の感覚。ファンタジー一般にもいえることだと思う。

このアニメ、キャラクター数ではダントツ、この点ギネスブックにも記載があるそうだ。ほぼ、人の生き方、パーソナリティ類型を網羅しているのでは。自分は誰に似ている、誰が好きとか、それだけでも、それなりの心理テストができそう。年齢別の差異に着目しても面白そうだ。たとえば、今回登場のカーナには、大人の方が共感性を感じそうだ。

文明化とは

以前、文化と文明の違いについて少し書いてみた。今回は、違う角度から文明について書いてみたい。

たとえば、目覚しい経済成長を遂げ、高度な情報化社会が実現している国があったとする。ところがこの国の国民の多くは、ほっておいたら何をしでかすか分からない、政府は治安維持に躍起となり、膨大な数の死刑執行で秩序の維持を図ろうとしているって場合。十分な文明化が達成されていない=野蛮状態といえるだろう。

この場合、大量の死刑執行自体が野蛮かどうかではなく、そこまでしなければ社会が維持できない状況のことをいっているつもり。

そのポイントは、”国民の自律性、規範性が、外からの強制力なしにどれだけ期待できるか”ということだ。これが文明化の基準の一つだと思う。

バンダリズムとは、文明の破壊行為のこと。公共物の破壊はその典型だけれども、公共秩序の破壊もその範疇に入れていい。通行人を無視した放置自転車、タバコの投げ捨て、救急車の通行を妨害する駐車とか相当する。これはどっかの国のことではなく、日本だって大丈夫かと感じる。文明程度の衰退だよね。

個人的には、細かいことを非難する気はないけど、度が過ぎた状況が多くなっているように思う。たとえば火がついたタバコの投げ捨て。これが意外に目に付く。火を管理できることは、文明どころか人間の条件みたいなもの。ネアンデルタール人ならキチンとできたはずだ。

この前、駅前で大量の放置自転車を整理している人たちを見た。これは行政の委託事業だろうから、経費は税金だよね。

防犯のため、高性能の監視カメラが沢山設置されるようになってきた、でもそのコスト、管理はどうなるなかって話。いくら世の中豊かになっても、こういったアホらしい出費がかさむようでは割りに合わない。イヤでも万引きさせない仕組みより、そもそも万引きしない仕組みを作った方が効率よいが、こっちの技術は全然未発達の分野だ。

選挙選真っ最中、公務員を減らす政策を掲げる政党が多い。でも、そもそも、なぜここまで行政が肥大したかって問題には考えが及ばないようだ。文明化した社会を実現し、税金も公務員も少なくて済ませます、なんて話が飛びすぎか。

いわゆるばらまき政策というものがある。子ども手当てはうれしいなぁ?そういえばローマ帝国の末期(=文明の崩壊期)には、市民への人気取りのため、文字通りパンをばらまいた例があったそうだ。この時期、人気のない皇帝はすぐ消されちゃうからね。でも、結局、帝国自体が消えてしまった。

梅雨空にはジャズ

どよんとした梅雨空の下、車の中で柄にもなくジャズを聴いた。アート・ペッパーのCDだ。サバサバとして乾いている、非常に都会的。これが僕のジャズの印象。うっとうしい季節にはこれもいい。

日ごろアイリッシュを聴き慣れた耳にはとても新鮮に感じる。なんと対照的な音楽だろうとつくづく思う。何者かの歴史を引きずっていない、特定の土地にも無縁、この音楽的純粋さ。

アイリッシュを聴くと、この曲ものにしたいとか、その奏法練習してみようとか、ついつい煩悩を感じてしまうが、ジャズならひたすら聴くことに専念してしまう。リズム感も独特で、足のステップも反応不可能。つまりは、感覚的に全くまねのできない世界を実感する。

ブルターニュ音楽入門 ボンバルデュ

ブルターニュ音楽は、アイルランド音楽と同じケルト系の民族音楽である。特徴ある楽器としては、このボンバルデュがある。

バグパイプをやってる人なら、チャンター(音階をひく部分)をはずし、口にくわえて吹くとイメージすればいい。縦笛みたいだけれど、Wリードの楽器だから、クラシックでいえば、オーボエに相当するだろう。といえば、格調高いが西洋チャルメラ呼んだ方がいいかも。

ブルターニュの友達が送ってくれたけれど、なかなか吹きこなせない。すさまじく息の量が必要であるし、振動によってやたら唇がしびれる。その上、音がとんでもない。まぁ、上手に吹けばよいのだが、素人の吹き方ではブタの悲鳴である。どこで練習する?

強く息を使うので、喘息に良いといわれるそうだが、なるほどと感じる。「呼吸力」が身に付きそう。

ラーメン屋さんの真似ならOK、もう少し練習してアメージング・グレイスがなんとか。この楽器は、B♭が基本だから、ハイランド・パイプ(バグパイプ)と合わせることができる(確認済み)。これは、ブルターニュでも同じ、独自のバグパイプがあり、ボンバルデュと一緒に演奏されることが多い。

ところで、日本で決まった呼び名があるのか。ある人は、ボンバードと呼んでいた。かつて”ボンバルデュ”と、ブルターニュの友達は発音したように聞こえたので、僕はとりあえずそう呼んでいる。

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