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子どもとセンス・オブ・ワンダー

快晴の朝、ずいぶん重くなったうちの子を抱えて、駅に向かう。そのとき、うちの子は、空を指差し、「つきー(月)」と教えてくれた。つられて通りがかりのサラリーマンまで空を見上げていた。なかなか子どもの感性はあなどれない。

こんな青空の中でも、かすかに月は出ていた。すると、はるか上空、月の下を鳥の群れが渡って行った(できすぎ)。永遠と一瞬の邂逅である。

おとなになると、日常の雑事に翻弄されて天空のできごとなどどうでもよくなるものだ。しかし精神の健康上、好ましくないと思う。古代人、すなわち人類の歴史上の大多数の人々は天空の出来事になみなみならぬ関心を払っていた。アイルランドに数あるストーン・サークルなどその例。そこには、天文学的配慮が施されている。人類とは本来そういうものだ。

現代人の場合、追い詰められた人は空を見上げない。脳内のノイズでしかないものと格闘することで心のエネルギーをすり減らしていくようだ。しかし、自分自身を超越したものに出会うことで、適切な心の整理ができることがある。

神様を持ち出すまでもなく、月の満ち欠けに気づくだけでも効果があるだろう。いや、路傍の雑草の花でもいい。プラトン的にいえば、美しさそれ自体、超越的なものである。

多くの臨床的な事例でいえば、こういったさりげない気づきが大きな転機となることがある。言い方を変えればそれは心の若さでもある。幼い子どもほど、驚きのセンスを持っている。

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