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密教寺院のイメージ空間

昨日は都内の密教寺院(真言宗)を訪れる機会があった。要は法事なのだが、なかなか興味深い空間である。

密教寺院は、豊かな象徴的イメージに満ちている。それは、キリスト教やユダヤ教の神秘主義にも一脈通じていると思う。もちろん、空海がこれらを学んだわけではないけれど、こういった古代思想は根本的に重なる点が多い。

たとえば、入った正面には、サンスクリット語の阿字が掲げられ、本堂の左右には曼荼羅が配置いている。阿(ア)とは、世界の始まりの言葉であり、転じて大日如来のシンボルである。これは、聖書の一節、最初の言葉があった、言葉は神であった・・・を思い起こさせる。

この究極の存在から、神聖なものが流出していくイメージ、これが曼荼羅。ここには、ユダヤ教のカバラ、生命の木のイメージが重なる。

そしてエリウゲナ、彼は、神的なものが流出してあまねく森羅万象に遍在していくイメージを捉えていたが、ここまで来るとキリスト教の範疇では異端に近い。神を中心に、天使や聖人を配置するカトリック的な世界観ではこれをなんとか限定的に受け入れていいると考えられるが、密教寺院ではこの表現がとても明確である。

南無大師遍照金剛、これは真言宗寺院に掲げられる基本的なお題目。南無とは、サンスリット語で帰依します、そして大師も遍照金剛も開祖空海のことなので、この言葉は真言宗独自の信仰の言葉になる。だから、他の宗教とは関係なし。

しかし、”遍照”という言葉に注目すると、そこには豊潤で神聖な光のイメージがある。そういえば、エリウゲナの哲学は光の形而上学とも呼ばれるが、こういった神秘主義思想にとって光のモチーフはやはり重要なのだろう。

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