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2010年2月

トヨタ社長の弁明(米下院公聴会)

守りに徹して、大きな失点がないだけでもよし、という結果だろうか。ただ、「顧客本位の経営再建」みたいな、対応策は月並みすぎるだろうし、いい意味でもう少しサプライズが欲しかったように思う。

今回の問題、危機管理のノウハウも重要だが、元は技術的な問題である。トヨタ社長は法学部系の出身だから、この点、こういった責任追及場面では悪くはないかも知れない。ところで、代々技術系の出身者が社長になるホンダならどうだろう。言わなくてもいいことを言ってしまいそうだが、かなり方向性の違った弁明になるだろう。

ホンダといえば本来バイクだが、僕はかなり長くバイクに乗った(やっとアクセルダコがなくなった)。バイクというは車に比べシンプルでよく分かる構造になっている。だから、素人でも結構いじれる。そうすると、技術者の「志」みたいなものもよく分かるような気がする。

しかし最近の車(四輪車)は、電子機器満載でよく分からない。動力系とは別物、ブラックボックスだらけである。バイク作りにいそしんできた技術者がバイクに電子機器を取り付けようとするならば、たぶん職人的に気持ち悪い、と感じるのではないか。とりわけブレーキやアクセルの制御ならそうだろう。

この問題、政治や経済からの視点もあるが、本質的には、人間と技術の乖離といった深い溝が見えたように思う。

フィギュアSP 鈴木明子とアイルランド

鈴木明子(明快な名前がすばらしい)の、演技が始まったとき、思わず「へぇ!」と感じた。なんと、その曲目の始まりはアイルランドのイーリアン・パイプであった。これはあのリバーダンスの曲であった。

フィギュアの曲目は何でもありだ。けど、重厚なクラッシックは振り付けが難しそうに感じる。その点、こういったダンス曲はわかりやすい。それに見ていても楽しい。これは彼女の信念でもあるそうだ。

鈴木明子の演技も楽しいが、とりわけ楽しげだったのは彼女と僅差のロシアのエリーナ・レオノワだと思う。オリンピックの舞台では不謹慎なほど、お茶目なスマイルが印象的だった。金とか銀とか、国家の面子を背負って競技すると、こういった表情は難しいだろうとも思う。

ベッキー・クルーエルとゲール語(マン島語)

ベッキー・クルーエルは、Manx schoolgirl と英語サイトで紹介されている。本名のRebecca Flint のフリントはマン島系の姓だろうか。

マン島語(Manx)はゲール語の一つであるが、1974年にネイティブの話し手が亡くなって一旦絶滅した。しかし、復興運動でなんとか復活した言語のようだ。そもそも、ケルト語系の感触では、マンは真ん中を意味する(シャレではなく)。つまり、ブリテン島とアイルランド島の中間だから、マン島。

なんとか僕の資料の中からマン島語を発見することができた。

心、cree(クルー)

アイルランドゲール語では、croi(クリー)だからやはりよく似ている。

マン島の公教育でマン島語を学ぶことができるなら、彼女の少しはできるかも。そういえば、ウェールズのシャルロット・チャーチは、ウェールズ語の唄も歌っている。特有の巻き舌がなかなかかっこいい。

ゲール語のテイストを学ぶ4 挨拶一般

Dia duit  ジーア グイッチ こんにちは

Sla’n スラーン さようなら 

Gabh mo leithsce’al ガ モ リスケル すいませんが、、、

Go raibh maith agat ゴ ロー マァーガッド ありがとうございます

Ta’bro’n orm ター ブローン オルム ごめんなさい

ゲール語にはとりあえずつづりに対応する読み方がありますが、複雑です。その他、かなり発音に結びつかないつづりがあります。以上の例は、なんとか日本語のカタカナに対応させましたが、もちろん日本語の発音とはかなり異なります。

少し例をあげてみます。

a は あ でだいたい良いですが、上に点が付くと(a’)、(原則)音を伸ばします。しかし、この場合、日本語の あ と お の中間の音になります。

ですので、上にある 「さようなら」 は、スラーン、でもスローンでも間違いではありません。

千葉大生殺害事件について(凶悪犯罪者の認知世界)

報道によると、そのきっかけは拍子抜けするほどシンプルだった。マンションのごみ捨て場が彼女の部屋の下にあり、侵入に際し足場の都合がよかったから。こんなことで命を奪われるなど、たまったものではないが、多くの凶悪犯罪の誘引はこのように単純なものである。

これを犯罪者の視点、認知世界で考えてみると、それは一般の人のそれに比べ見えている(感じている)ものが極端に少なく、また偏っているといえる。だから、犯罪を説明するうえで、「残虐な心」とか、+αの要因を探すことよりも、何が欠けているのかと考えた方がいい。

彼女の苦痛、家族の悲嘆、自身に待つ過酷な刑罰など、本人にはさして見えない。だから大胆な犯行も可能になる。こういった認知世界を想像することはなかなか難しいが、強い葛藤や深い悩みも生じない経験世界に生きているということだ。

この犯罪は、刑務所を出て1月後の犯行と報道されているが、刑務所の中でも行状も悪かったとはいえないだろう。おそらく、これまで窃盗など財産犯の常習者で、与えられた規律、作業に従順に従う目立たない受刑者であったろうと思う。

殺意を否認しているそうだ。弁護するとすれば、このあたりしかないのだが、客観的に見れば、否認しようがない。ただこういった本人の主観の中で明確な「意」なんてものがあるのか、ないのか疑わしいように思われる。近代的な刑法は、自律した個人を想定しているものの、これは理論上の概念であり、よほどの確信犯でないかぎり実際のケースにはぴったりこないだろう。

この事件の裁判員になっとしたら、この点だけでも大きな心理的負担になる。たぶん、突っ込んだ質問をしてものれんに腕押し状態ではなかろうか。それに加え、死刑か無期という難題もある。強盗殺人とすれば、この二つの選択しかないからだ。

シーシェパード事件について(ブラックジョーク)

この記事は捕鯨の是非を問うものではありません。念のため。むしろ刑事司法を考える題材です。

20××年×月×日。日本の調査捕鯨船に侵入し、日本の刑事裁判によって刑務所に服役していた元アディ・ギル号の船長○○氏は仮釈放となり、本国への強制送還手続が進行中である。支援団体は、反捕鯨のヒーローとして彼を迎え入れるため、早速接触を試みたが、彼の変貌ぶりに驚愕し、そして戦慄したのであった。

彼は、日本の刑務所当局の至れり尽くせりの矯正教育の結果、すっかり鯨肉料理の虜となり、「もうビーフもポークもチキンも食べない。これが最高だ」と日本の鯨肉料理を賞賛し、以後シーシェパードから足を洗うと明言したからである。

ポイント、教育刑の許される範囲とは何か?

このブログの目指すこと

エリウゲナなんてマニアックな哲学者をタイトルに使っているこのブログですが、数人のコアな訪問者がいらっしゃることはとても喜びです。

このブログのコンテンツはとても広く、拡散的になりすぎていないかと少し気になっていますが、この世の中のとても基本的なことを掘り下げ、サプライズを発見することがこのブログの主題ですから仕方のないことかも知れません。

アイルランドネタは管理人の趣味が多分に反映されていますが、それでもアイルランドを軸足にしてみて初めてわかることも多いといえます。

たとえば、今回のオリンピックについて、フィドルやアイリッシュダンスなどの語彙を基に検索している方もいます。そこには、表面ではわからない世界のつながりと発見があるはずです。

このブログの検索について、文化と文明の違いからたどり着いたケースが多いようですが、これは管理人も納得です。この世界のベースラインですから、こういった主題は大切にしたいと思います。

蝦夷とケルトなんて検索の仕方もありました。こういう検索の仕方を見ると、見えてるなぁと感心します。一番すごいと思った検索はレーヴィトと社会学でした。レーヴィトなんて哲学科の学生でも普通知らない、おまけにあえて社会学をつなげて検索をかけている。これには脱帽です。

突飛だったり、マニアックだったり、ゲール語ネタなんてその最たるものですが、英語全盛のこの時代、ささやかな抵抗の気持ちを共有できたらうれしいです。また、特定の言語を通してみると、世の中また違ってみえる、この感覚がわかってもらえたらもっとうれしいと感じます。

オリンピック開会式

北米を舞台とした神話的人類史というべきか。寒そうだけれど深みのある演出だったと思う。分かる人には分かるケイリーの演出。断固絶対バイオリンではなく、フィドルの共演。ハープ奏者は、あのロニーナ・マッケニットだった!ダンスはアイリッシュというよりスコテッシュという感じ。まさに人類規模のケイリーであった。

(ケイリー=アイルランド、スコットランドで行われるダンスを主体とした集い)

お国柄、とても多民族的だったが、これがもし日本だったら?ぼくはいわゆる縄文系なので、先住民として登場できる資格がある?

日本のオリンピックでこのような多民族史的な演出ができるとは思わないが、潜在的には十分多民族である。ヤマト、隼人、熊襲、土蜘蛛、エミシ、ミシハセ、アイヌ、ウィルタ、ニブヒなど、思いつくだけでもこれだけの民族?が日本史に登場している。

密教寺院のイメージ空間

昨日は都内の密教寺院(真言宗)を訪れる機会があった。要は法事なのだが、なかなか興味深い空間である。

密教寺院は、豊かな象徴的イメージに満ちている。それは、キリスト教やユダヤ教の神秘主義にも一脈通じていると思う。もちろん、空海がこれらを学んだわけではないけれど、こういった古代思想は根本的に重なる点が多い。

たとえば、入った正面には、サンスクリット語の阿字が掲げられ、本堂の左右には曼荼羅が配置いている。阿(ア)とは、世界の始まりの言葉であり、転じて大日如来のシンボルである。これは、聖書の一節、最初の言葉があった、言葉は神であった・・・を思い起こさせる。

この究極の存在から、神聖なものが流出していくイメージ、これが曼荼羅。ここには、ユダヤ教のカバラ、生命の木のイメージが重なる。

そしてエリウゲナ、彼は、神的なものが流出してあまねく森羅万象に遍在していくイメージを捉えていたが、ここまで来るとキリスト教の範疇では異端に近い。神を中心に、天使や聖人を配置するカトリック的な世界観ではこれをなんとか限定的に受け入れていいると考えられるが、密教寺院ではこの表現がとても明確である。

南無大師遍照金剛、これは真言宗寺院に掲げられる基本的なお題目。南無とは、サンスリット語で帰依します、そして大師も遍照金剛も開祖空海のことなので、この言葉は真言宗独自の信仰の言葉になる。だから、他の宗教とは関係なし。

しかし、”遍照”という言葉に注目すると、そこには豊潤で神聖な光のイメージがある。そういえば、エリウゲナの哲学は光の形而上学とも呼ばれるが、こういった神秘主義思想にとって光のモチーフはやはり重要なのだろう。

キリンとサントリー

前回の幕末・明治物の続きである。

キリンとは、麒麟、つまり古代中国の幻獣である。すごいネーミングだ。このネーミングを考えた人物とは、臼杵藩出身の秀才荘田平五郎、福沢諭吉門下を経て、岩崎弥太郎の片腕となった人物である。このネーミングはかなりの古典的素養がなくては考えつかないだろう。

これは教養レベルの問題だが、実務レベルでは、三菱に日本初の複式簿記を導入したのもこの人。おまけに、日本初の会社規則も考案している。岩崎弥太郎は、豪傑肌、三国志の張飛みたいな風貌だが、荘田は貴公子みたいな写真を残している。会社の経営陣としてこのバランスは絶妙である。

キリンとサントリーの合併破綻のニュースでもちきりの一週間だったが、両社長の風貌の対比が興味深かった。キリンの社長はまあ、いるよねって感じだが、サントリーの社長のイメージは人によって大きく分かれるだろう。僕は、封建領主みたいでかっこいいと感じた。これは、株式を上場せず、完全に資本主義社会に組み込まれていないからと、考えることができる。

ところでサントリーといえば、ウイスキーである。(という具合にこのブログらしくなる)

ウイスキーの語源は、ゲール語の命の水=ウィスケボーだ。アイルランドの修道院で開発されたというのが定説。その背景には錬金術がある。錬金術は、結局「金」を生み出すことができなかったが、”命の水”の開発には成功したのだ。

というわけで、キリンばかりでなく、サントリーも古代文化に脈絡がつながっている。

幕末と武士の教養(岩崎弥太郎の伝記から)

最近、執筆の仕事に関して、坂本竜馬と岩崎弥太郎について調べたのでそのおまけを少し。

岩崎弥太郎とは、三菱財閥の創始者である。近代経済人の先駆けであり、坂本竜馬と関連も深い。実際のところ、史実とNHKの竜馬伝は、かなり違っているけれども、竜馬の海援隊がなかったら、三菱はなかっただろう。これはかなり確実である。

その辺のことは置いて、この弥太郎という人、最下級の武士であるが、勉強家である。それも、当時の武士としての基本、つまり儒学、漢学を高名な学者のもとを渡り歩きながら学び続けている。

当時は経営学なんてなかったから、あくまで教養を極めたわけだけれど、漢文で自在に論述ができたらしい。とりわけ自作の漢詩は相当なものだったようだ。実業家としての彼は、豪腕独裁経営者であるが、若いころは立派な詩人でもある。特段、彼に限ったことではなく、詩ぐらい書けなければまっとうな武士として様にならないといった風潮はあったと思う。

彼にとってこういった教養は立身出世のための強力なコミュニケーションツールでもあった。幼年時、藩主に詩を献じるなどのエピソードに事欠かない。一方では役人批判の漢文で獄中生活も経験している。が、その中で、同房の商人から商法を学んだとも伝えられているから、彼の勉強ぶりは筋金入りだ。

ところで、この平成の世の中、サムライとか武士道とか見直されている?ようだが、その中身はよく分からない。この点、幕末の熟成された封建主義社会の中での、武士たるものの教養水準を考えてみることは有益だと思う。

このごろ、就職難のせいもあり、大学まで実学志向を強めている。しかし、本当の時代の転換点には、教養がものをいうのでは。幕末の人たちの生き方を調べていると、教養の厚みの深さを感じないわけにいかない。

この場合教養とは、今はどんな時代なのか、自分とは何者か、では何を指針として自分は生きるのか、についての答えである。

これは、どの道基本的に大切なことだ。たとえば、就職面接にだって応用できると思う。自分がなぜこの会社を希望したか、自分の生き方の筋書きができていれば応答に困らないはず。もちろん、状況に合わせて的確に伝えるコミュニケーション力も必要だが、これも教養問題。

ゲール語のテイストを学ぶ2 挨拶(こんにちは)

ゲール語で、「こんにちは」に相当する言葉は、Dia duit(dhuit)、ジア グイッチ です。

Dia=神

duit=to you, 貴方に 

これが意味のコンテンツですが、つまり、貴方が神とともにありますように、こんな感じのニュアンスが本来の意味です。

会っていきなり、神!ですが、これって、イスラム式の挨拶に近い感じです。信心深いというか、むしろアイルランドに生きることは、神様なしにはやってられないほど過酷だったのかも。

まあ、英語では、God bless you 日本語では、神仏のご加護がありますように、とか言ってもいいのですが、ちょっと大げさですね。なんだか冒険の旅でも始まりそうです。

ところで、duitなんですが、これがゲール語らしい点です。つまり、前置詞と代名詞が一つになった前置代名詞というものです。英語なら、to you に相当します。

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