« アイルランドの百合 | トップページ | テイカカズラのこと »

日食のこと、あるいは科学的思考の基盤について

先日、皆既日食があった。仕事していたら見忘れてしまった。

日食について思うこと、それは正確な予測ができるということだ。天体の運行など超マクロな自然界のできごとは、そういうものなのだろう。数字に置き換えた予測が、そのまま現実のものとなる。同じく自然現象でいうならば、天気予報。こっちは、何時から雨が降る、とまでは予測できないが、それでもかなり信頼できる。

それに比べ、地上の人間界の出来事は、相当に難しい。たとえば、日経平均。前日のニューヨーク市場を知れば上がるか下がるか、おおよその予測がつくものの、終値を言い当てることなどとてもできない。

古代のギリシャ人たちは、こんな風に考えたようだ。

天体の運行に比べ、なんと、この地上の出来事はあてにならないのだろう。天に昇るほど、マトモな(イデアな)世界になっていくのではないだろうか・・・

哲学的にいえば、本当のもの=イデアは、この地上にはなく、この地上にあるものは粗雑なコピーみたいなもの、となる。

教科書的にいうと、コペルニクス(=近代科学の先駆)は、頑迷なキリスト教会に逆らって天動説を唱えたとされる。そこには、観測を重視する冷静な科学的、客観的な思考があったのだと。しかし、科学史の検証によれば、地動説派もそれなりのデータの蓄積があり、理論的には、天動説とも対等のレベルにあったそうだ。つまり、両者とも天文学的観測をそれなりに説明することについては優劣がつかなかった。そもそも、当時は、宇宙から地球を見ることができなかったのだから。

コペルニクスの確信の背景には、古代ギリシャ的な思考があったのではないかといわれる。それは、地上(=地球)より、太陽の方が格が上である。したがって、太陽が地球を回るのではなく、地球が太陽を回ると考えるべき、という発想だ。たぶん、単なる観測と実験の積み重ねだけでは、科学は成立しないのだろう。その発想の基盤を掘り下げてみると、より実り豊かな鉱脈があるに違いない。

ルネッサンスとか、科学革命といった歴史的できごとは、人間の進歩のシナリオから離れてみた方がよいように思う。ニュートンが錬金術師であったと驚くより、科学の始まりは失敗した錬金術であったと考えた方がむしろ正しい。

« アイルランドの百合 | トップページ | テイカカズラのこと »

思想」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/448947/30663018

この記事へのトラックバック一覧です: 日食のこと、あるいは科学的思考の基盤について:

« アイルランドの百合 | トップページ | テイカカズラのこと »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ