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法律のファンダメンタルについて (ヨハネス ドゥンス スコトゥスのこと)

最近、裁判員制度についてこのブログの記事を書いているので、同じく法律の関連でヨーロッパ中世哲学についてすこし書いてみよう。

刑事訴訟法の渥美東洋という著名な法学者がいる。僕は、彼の講義に一度だけ出席したことがある。まさか、いつもこうだとは思わないが、近代的自我の話、デカルトに始まって刑事訴訟法につなげるくだりは圧巻であった。まさに、哲学とは基礎学なのだ。

非常にマクロな視点であるが、近代的自我なくして現代の法体系は成り立たない。教科書的には、デカルトに話が始まるが、中世の末期、その基盤を考えた哲学者がいる。それが、ヨハネス ドゥンス スコトゥス(Johanes Duns Scotus)である。

この意味で彼は中世を終わらせる幕引き役の一人であった。余談であるが、このブログの表題にあるエリウゲナ(Johanes Scotus Eriugena)は、中世の幕開けをもたらした哲学者の一人である。つまり、ヨーロッパの中世の始まりと終わりに、二人のヨハネスがいて、一人はアイルランド人(エリウゲナ)であり、もう一人はスコットランド人(ドゥンス スコトゥス)だ。

エリウゲナについてはまたの機会にお話してみたい。で、ドゥンス スコトゥスなのだが、この人が自由意志(意思)について精緻な理論を展開した。これは、人類史上画期的なことだった。つきつめれば良くも悪くも、人間は自由な意志で行動できるということ。現代の私たちにはあたりまえのように感じるだろう。しかし、それはそれだけ根深く知らない間に、私たちが過去の歴史を受けついでいるからだと思う。

故意とか過失、錯誤など基礎的な法律の概念は、すべてここから発生してくる。個人主義や自己責任の源なのだから。

もしあなたが、裁判員になって殺傷事件を担当することになったら、殺意の有無が重大なポイントになるはず。また、被告人の精神状態(責任能力)が問題にあることもあるだろう。ドゥンス スコトゥスが700百年前に考えたことを、改めて私たちが日本の法廷で取り上げられることになるのである。

今日はこれまで。

最近、硬いネタが続いたので、次回は柔らかくいこう。ダンスの話とか。

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