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2009年2月

梅を悼む

梅の季節だ。東京の平野部ではもう盛りを過ぎようとしているが、この雪でもう少し長く咲くかも知れない。

ところで梅といえば、菅原道真は、左遷され都を離れるとき、愛でていた梅の木に思いを寄せ有名な「東風吹かば」の句を読んだ。この梅の木のその後はどうなったのだろう。

園芸の常識として、梅は徹底的に剪定することがよしとされる。野放図に枝をほっておくと、樹形が乱れるし、花付きも悪くなるからだ。

つまり、見事な梅の木は、長年にわたる人の関与があったことの証(あかし)なのである。1年でもほっておけば、分かる人には気づくことになる。この状態が続いているとすれば、それは、背後にあった人の営みが途絶えたことを意味する。

この時期、多くの梅の木を目にするが、このような”異変”を感じさせる木もある。そんなとき、この木の主人はどうなったのだろう、と勝手ながら心配している。

アイルランドの曲 荒地を越えてマギーに会いに行く(Over the Moor to Maggie)

このリール曲(8ビートのダンス曲)は、とりわけ僕の好きな曲だ。期待、駆け足、アイルランドの花咲く野辺・・・こんなイメージが湧く。アイルランドの音楽の曲名と、曲の印象はあまり一致していないことが多いが、これはぴったりに思う。

僕の空想の中では、荒地を駆けていく男の子がいつもいる。この男の子は隣村の女の子マギーに会いに行くのだ。この曲を聴くとこの空想がいつも思い浮かぶ。

「魔法使いに大切なこと」こんなアニメがある。遠野の女の子が東京に出て魔法を勉強するという話。いわば、ハリポタの日本版だ。遠野というところがミソ。このアニメ、大いにアイリッシュ音楽を使っているが、この曲もBGMの一つ。CDの中では、河童の故郷(くに)と題されている。ハリポタの中でも日本の河童が話題にされているがこれは余談。

ところで、マギーとはマーガレットの愛称である。僕にとってアイルランドのマギーは2人いるが、残念ながらロマンスではない。

一人は行きつけの民宿のおばちゃんだ。この民宿、ネット上で売りに出されていたが、本人に尋ねたところ、とても売れそうにない値段を吹っかけてるので当分は大丈夫と言っていた。ありがたい、アイルランドでの寝る場所は一つ当分の間確保できた。

もう一人のマギーは、僕の初めての海外旅行、つまりアイルランド旅行でこんな得体の知れないアジア人をお茶にさそってくれたおばあちゃんだ。彼女の庭は小さくとも美しかった。このご縁は、同じ園芸家同時の共感といっていいだろう。その後もしばらくマギーと僕はクリスマスカードなどを交換していたがこのマギーからの連絡はやがて途絶えた。

数年前、彼女が亡くなったと親族から連絡をもらった。マギーはもうこの世の人ではない。親族の招きでもう一度彼女の村を訪ねたが、村のよろず屋のおばちゃんまで僕のことを知っていたのは驚きだ。

彼女の墓の前で、この曲を僕はフルートで演奏してみた。Over the Moor to Maggie。

インフルエンザについて

インフルエンザが流行しているので、今夜はインフルエンザについて書いてみよう。

この言葉の語源は、英語のinfluence(影響)と同じだ。ラテン語へたどると、influxi(流れ込むこと、影響)にいきつく。なにか別なところからこっちの方へと力が働いているイメージがこの言葉の本質なのだ。

では、どこからその力が来るのか、それは宇宙の星々からである。つまり、昔の人々は、天空の出来事がこの地上の出来事に影響を与えていると考えていた。インフルエンザ=疫病の流行もその一つと解釈されていたのだ。

確かに、今風に考えれば、太陽の黒点の増減が地球の気候に影響を与え、人類史のエポックになったという話はある。だがこれは、本来もっと壮大で魔術的な発想である。それは、新プラトン主義の哲学を背景とし、ヨーロッパ・ルネサンス期に絶頂となったものだ。当時にしてみれば、天文学者が医師を兼ねることが当然のことであった。

残念ながら今の私たちは、このようなコスモロジカルな、いわば宇宙との共感を感じるような感性が相当に退化している。一般の文明化(ほんとうか?)した人間は、今夜の月の形を気にしていないだろうし、満天の星空を見上げた経験さえもあまりないだろう。しかし、この感性に関連したものとして、なんとか占星術は現代にも生き残っている。この論拠には、インフルエンザを天空からの悪い”影響”と考えたような昔の人々の発想と同質のものがある。

インフルエンザウイルスをはじめ、ウイルスの形態は実に幾何学的だ。小さなウイルスのタイプになると、シンプルな正20面体が主流になる。プラトンは、この宇宙の根本に数学的、幾何学的原理があることを確信していたが、ウイルスの形態を知ることができたとしたら大いに満足しただろう。とはいえ、この宇宙的な単純さがウイルスの脅威の源でもある。

FLOOKの A Quiet Autumn

今月はティン・ホイッスル教室の発表会がある。例によって都内のアイリッシュ・パブが会場だ。僕がグループで演奏する曲目の一つがこの”A Quiet Autumn”である。

この曲はアイリッシュバンドであるフルックのオリジナル曲で(Sarah Allen作曲)、一応ジグだ。一応というのは、曲の形式のうえではアイルランドの伝統的な舞曲であるジグなのだが、やはり伝統的なジグとはかなり異なると思う。

テンポのよい8分の3拍子という点ではジグであるとしても、その音の流れが伝統的なジグとはかなり異質だ。だから演奏しにくい。裏を返せば、技巧的な見せ所があることになろう。

伝統曲の一つの特徴は、人づてに伝わるうちに作曲者の個性みたいなものがなくなって、いわば角がとれてマイルドになっていることだと思う。こういった曲は覚えやすく、演奏に参加しやすいといえる。たぶんダンスもしやすい。一方、こういった個人の頭の中から出てきたばかりの曲はそうはいかない。だからポップスといってもよいかもしれない。

アイルランドの伝統曲とは何か、ちょっと考えてみた。

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