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2008年7月

カール・レーヴィットのこと

最近の日経の夕刊に、哲学者の木田元先生の記事が載った。

木田先生には、少しご縁がある。中央大学での木田先生の最終講義に出席したのはずいぶん前のことだ。

今回の記事は、フランス革命とヘーゲルの歴史哲学に言及があったが、先生はこういった進歩史観に批判的なようだ。ヘーゲルの過ちがマルクス主義に継承されたことが暗黙のうちに示唆されている。

歴史はある方向に向かって進歩しているのか。学校で習う歴史教科書には、進歩していく歴史が当然の前提としてバックにある。この意味、歴史は単なる事実の羅列ではない。明らかに一つの立場に基づいているのだ。人類史は理想、たとえば自由とか、が実現されていく筋書きのあるドラマとして記述されている。

カール・レーヴィット(K.Lo"with)は、私の好きな哲学者だ。彼の哲学の手法は、哲学を社会学的に分析する視点にある。つまり思想が生まれる社会背景から、既存の哲学を批判する方法を取っている。

そもそも歴史に意味があるという発想、それはユダヤ・キリスト教の根幹にあるが、西洋の哲学者ばかりでなく、多くの日本人は、自分が当然にこの「神学」を受け継いでいることに気が付いていない。

この神学は西洋の哲学に受け継がれ、宗教を否定したマルクス主義によって最も受け継がれたことは、哲学史上の奇観だ。もちろん、リベラルな立場も大差ない。

本来、明治維新の思想的基盤は、神道原理主義と、王政復古にある。この意味で歴史の反動である。ところがいつの間にか、進歩する人類史のエポックとなってしまった。日本は進歩する文明社会の一員になった、これが教科書的歴史解釈である。

そもそも封建社会は文化水準の低い、野蛮な社会なのだろうか、ともかく徳川幕府は人類史上まれに見る長い平和を実現した。ところが明治政府になって以来、ただの平民まで遠い外国の戦場に駆り出されることになったのではないか?平等な社会あるいは国民国家というものは、戦争を遂行するうえで、まことに都合のよい体制である。これは進歩だろうか。

当たり前を疑ってみよう。進歩する歴史、この前提を疑ってみると、新しい知的冒険の視野が広がるだろう。

バンダリズムについて

このところ文化財などへの落書きがニュースになっている。

少し前善光寺も被害に遭っているし、先日はイタリアの世界遺産大聖堂、今日は新幹線だ。

この手の悪質な落書きを英語で「バンダリズム」というらしい。その語源は古代ローマに侵入したバンダル族にある。バンダル族を含むゲルマン大移動は世界史上の大きなトピックであるが、西ローマ帝国の滅亡の原因にもなっていることはご存知のとおり。

バンダル族は中でもタチが悪かったらしく、名前が悪行の名称にもなった。バンダリズムの意味は、本来文明の破壊行為であるが、世界遺産や重要文化財への落書きはまさに本来の意味に近い。

公共物への落書き、破壊行為は、もちろん犯罪であるが、一体何に対する犯罪かを明確にするべきだろう。バンダリズムの意味がわかれば明白だ。つまり、文明(公共性)への攻撃なのだ。報道もこの点を強調した方がいい。悪質ないたずらという表現は好ましくない。落書きの延長には、嘘の110通報、線路への置石、文化財への放火だってある。そして極みはテロである。これらは一連の犯罪類型と見るべきだろう。

犯罪者の表現に、バンダリストを加えてみてはどうだろう。そうすれば気軽な気持ちで落書きしちゃいました、とはいえなくなる。

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