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書評「荒蝦夷」熊谷達也著

古代日本の幻の民エミシ(蝦夷)。今も東北地方に残るアイヌ語系の地名やマタギ言葉に彼らの残光が残っている。アイルランドやスコットランドにもゲール語の地名が残っているが、彼らはケルト人よりさらに幻かも知れない。民族として確立し切れなかったからだ。

この小説はエミシの英雄アテルイと、ヤマトの将軍田村麻呂の対決前夜の東北が舞台である。エミシの部族社会と、ヤマトの中央集権社会との激突といえば、ケルト人とローマ帝国の抗争にも同じモチーフがある。ケルト人諸部族を統合した英雄ウェルキンゲトリクスは、エミシのアテルイにそのまま対応する。

この小説の醍醐味は先の読めない政治的権謀術策にある。これが面白い。推理小説を読むように楽しむことができる。そしてエミシに情緒的肩入れは直接的ではない。ヤマトVSエミシといった二項対立ばかりではなく、エミシ間の部族闘争もまたすさまじい。つまり、「強者に挑む人々の哀歌」みたいな感傷はない。

乏しい歴史的資料からエミシの部族社会を再現した著者の力量にも脱帽する。文化人学的知的楽しみも味わえるだろう。ただし、おぞましい略奪、処刑のシーンのリアリティも含む。この点、奇麗な話ではない。かなりショッキングである。

しかし、このおぞましさを背景として、アテルイと田村麻呂の英雄性は清清しさを際立たせる。素敵(ステキ)とはこのことである。若き両雄の邂逅のシーンは鮮烈だ。

田村麻呂=ヤマトとはそのままいえないことに留意したい。田村麻呂の一族は渡来系である。つまり彼らにも、日本という地に確たる基盤を作ろうと危ない橋を渡る事情がある。諸族入り乱れた当時の日本の姿があるのだ。

アテルイと田村麻呂、この宿命の対決がNHKの大河ドラマになることはありえないだろう。通俗日本史を超越したドラマであるから。でも、本当に日本という国の成り立ちを知りたいなら古代東北は無視できないと思う。

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