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ヒューマニズムと刑罰

最近、凶悪犯罪とその裁判について話題になることが多い。そこで、少しコメントしてみたい。

人はだれでも間違いを犯す。だから寛大であることも必要だ。罪を犯した人を正しい道に導くことが第一である。と、考えることはヒューマニズムである。

この観点からすれば、犯罪者の更生に配慮しようとすることが人道的に正しいといえるだろう。しかし、目線が上から下に向いていることに注目してみよう。ある意味、この発想は高慢である。助けて「あげる」わけだから。

哲学者E.カントの視点によればもう一つのヒューマニズムの形がある。彼にとってのヒューマニズムとは、自律した個人間の人格的尊重である。この観点にたてば、大人といえる対等な個人間で、あなたは間違っていますから強制的に教育してあげましょう、と考えること自体、相手の人格をおとしめることにほかならない。

刑罰論的にいえば、絶対応報主義である。罪には相応の報いを与えることが、相手の人格を尊重することになる。

かなり古い事件だが、残虐な殺人事件を犯した高校生の例がある。彼は医療少年院に送られ、「治療」を施されたうえ社会に出た。そして自殺した。今の世の中自殺が蔓延しているが、これほどマトモな自殺の例を私は知らない。

彼の自殺の理由は、このようなものだ。

「僕は大変悪いことをしてしまいましたが、まだ罰を与えられていません。その代わりに気が狂っているとされ、治療を受けました。僕はとても惨めな気持ちになりました。僕は自分のしたことの重大さを良く分かっています。誰も罰してくれませんから、自ら自分を罰します」

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