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デスノートのノート

「デスノート」について思いついたことがあるのでノートする。

死因は殺害も含め、人の寿命があらかじめ決まっている、ただしこの変更がデスノートによって変更可能というのがこの話の前提。

つまり原則は運命論である。本来は、たとえ凶悪犯罪の被害に遭ったとしても、それは犯人が「任意に」行ったことではない、ということになる。本人の自覚がどうあれ、運命に操作され犯行を行ったわけだ。自由意思のない世界に、責任は発生しない。

殺人などを犯した「凶悪犯罪者」が、多数デスノートによって殺害されていくが、この犯罪者たちが運命に操作されるままに人を殺していたとするなら、責任を問えるのだろうか?

デスノートによって運命を変更し、任意に人を殺すことができるとすれば、本当に殺人が成立するのはデスノートの使用者だけだ。

が、デスノートの使用が「運命」ではなかったということは、どうやって確かめたらよいのだろう?「運命」とは、Lとキラのやりとり以上に、トリックを含む言葉である。

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思想」カテゴリの記事

コメント

ふ、深い・・。
確かに運命論ももってきたらさらに奥行きが出て面白くなるかもしれませんね^^
ただ、作者さんは善悪論を作中にもってくるつもりは全然なかったというし、しかも少年誌だからというのもあって難しいんだろうなぁ、と(青年誌ならアリなのか???)。
ちなみに私はLが好きです。頭がいいのに飄々としていて、お菓子ばっか食べていてなんかカワイイです^^

うん、L的かっこよさってありますね。
らしい人がらしいことしても面白くないので、それっぽくない人ゆるい人が、実は鋭くスゴイっていいなぁ。

運命論・・・そういう考え方できるって凄いですね!確かにデスノートは運命論が原則。そう考えると月がデスノートをひろったのが運命。月の性格として犯罪者を裁くのも運命。と考えると犯罪者がデスノートによって運命が変えられた証拠はないので、もしかしたらデスノートで殺されたのも運命かもしれない・・・。その他のことも含め運命論で考えると深い。

ヴァリガ様
書き込みありがとうございます。

この世に起きることは、すべて、一度しかないので、それが運命だったのか、そうでなかったのか、誰にもわかりません。

わかんないことは、わかんないで、割り切って行こう。これは、「不可知論」。本当にわかることは、結果しかない。


ヴァリガ様が、書き込みしてくれたことは、運命かどうか分からない。でも、私はうれしく思う。これは、真実。

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