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妖怪と妖精

実写版「ゲゲゲの鬼太郎」を観た。

さて「妖怪」を英訳したら何か。本質からすればフェアリー(Fairy)だろう。アイルランドの妖精もそこそこ種類があるが、せいぜい動物系の妖精止まり、物系の妖精はいない。これはちょっと発見かもしれない。

輪入道、ぬりかべ、一反もめんなど物系妖怪キャラクターは、日本の文化の象徴といってもいいくらいだ。まさに「物の怪(もののけ)」、物にも命が宿るという発想は日本の文化の相当深いところに関係している。

日本の国歌の歌詞もこのことに関連している。アイルランド国歌「戦士の歌」は、いかにも苦労して独立した小国らしくて分かりやすいが、日本の国歌は神秘的だ。石が成長して巨岩になる様を歌っている。石にも命があるのだ。

話をもどそう。「妖怪」を「妖精」として英語圏で説明するとして、そのコンテンツは結構難しい。ハリーポッターの中では、河童はkappaだった。これは仕方がない。まさかriver childではおかしいだろう。

では、目玉の親父は、どうするか、まあ、そのままeye ball father でいくか。猫娘はcat girl でよしとして、輪入道はring monk?子泣きじじいはbaby cry old man ?だんだん妖しく?なってくる。砂かけばばあは、sand shot old woman ?意味不明の英語になりそうだが、「ばばあ」をhag (鬼婆)とすればイメージが翻訳できるだろう。

年老いた女性が、怪しい力を持つという発想が日本にも西洋にもあるので、このイメージは通じやすい。また、猫は西洋でも魔性のイメージがある。猫娘という妖怪のイメージは西洋でも通じやすいと思う。一方、犬息子はどちらもありえない。

西洋と日本で大きくイメージが異なる動物がいる。狐である。子泣きじじいや、砂かけばばあは水木しげるが発掘した妖怪で、伝承のオリジナルはほとんど知られていない。しかし、北海道と沖縄を除く日本全国にとても豊富な狐の伝承があるが、狸もまたしかり。

夜道を行く人が、妖精にいたずらされる話はアイルランドの妖精話の定番だが、日本では狐と狸がその役目を担っている。Fairy=狐と狸、モチーフとしてはこうなるが、アイルランドで狐や狸(アナグマが相当?)は全くただの動物として考えられている。

したがって日本では、foxがfairyの代表なんだ、とアイルランド人に言っても、イメージが全く通じない。言葉だけの問題ではないのだ。信楽焼の狸の置物や稲荷神社の狐に馴染みがある無しの問題というより、そもそも聖書的な世界観では、人と動物の間の溝がとても大きいといえる。狐が易々と人間に化けることはできないのだ。狼男のような例もあるが、救いようのない呪われた状態とされる。

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