ウクライナで日本人兵が戦死した件

このニュースを聞いて思い出したことがある。それは、首都空襲、日本では未曾有の民間人虐殺に抗した迎撃機の搭乗員とその記録である。

軍国主義者の方には悪いが、僕にとって太平洋戦争中、国家の命で否応なく遠い海外で戦う他の日本軍の戦いに感じるものとは別物だ。

かれら搭乗員として、今目の前にいる市井の人たちに降り注ぐ爆撃を阻止できるのは、事実今ここの自分たちしかいないと感じることは切実な感覚だろう。

時が過ぎ、彼が外国の住民に感じたものは同じような感覚だったろうか?

東京都調布市は、飛行場の町でもある。実際、小型旅客機が飛んでいるがかつては航空基地の町だった。

この基地が、B29の迎撃基地だった。

興味深いことだが、調布警察署には、”飛燕”の模型が飾られている。日本の戦闘機には例外的な水冷エンジン搭載のこの機種は、B29を迎え撃った機種の一つである。

命あるものについて その1 ニンジン

スーパーの棚に並ぶニンジンは、商品。これは、とりあえず真実なのだけど人間本位の社会経済的な一つの見方でもある。

商品だから消費される。その価値は、元値-販売価格。

でも、ニンジンの上の方は調理に向かないので、調理の対象にならず捨てられるのが常だろう。余計なものか?

しかし、あえて水の吸収ができる明るい環境に置かれるならば、このように生き生きと育っていく。

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もと商品、今生きている存在。ちゃんと生きてることに敬意を感じてもいいんじゃないかな。緑とオレンジの取り合わせも、命の感じるコントラストと思う。

とはいえこのままずっと生き続けることは難しいので、植物らしく土に植えてあげることが気配りだ。

すると、冬を耐え春になれば花を咲かす。この繊細なレースのような純白の花を、知らない人には見せてあげたい。あるがままの価値として。

そして花が終われば、種をつけ、種をまけばまたニンジンがそだつ。芽生えニンジンの双葉も、それはそれはかわいらしいものだ。

つまり、ニンジンの先っちょだって生きて、命をつなぐ大いなる存在である。

ところで、本日のこと、「生きていなきゃいけないことを説明してくれ」っとか騒いでいる人に会った。

そんなことは、ニンジンの先っちょに聞いてくれ。

 

 

ウクライナ語への半歩 その2キリルを読む

いきなりだけれど、баба はなんと読む?
答えは、バーバ、ローマ字ならbaba。これくらい差異なら、推測がつきやすい。
日本的には、バーバと聞くと幼児語のおばあちゃんの類だが、なんとウクライナ語でも祖母の意味である。

余計な話だが、バーバーヤガーってご存じだろうか?当地の妖怪、魔女の一種である。さらに余計だが、ムソルグスキーの組曲にもこの名の曲がある(その次曲は、キエフの大門)。

では、これ見てください、、рecтopaн 、、、、ペクトパンか?

種明かしをすると、р→r、н→n とローマ字に変換できる。全然ちがうけど。そしてcは、英語的にはス、ク と読みうるが、ウクライナ語ではスだ。

すると、restran にローマ字化できる。当然意味は、レストランである。なーんだ。英語ではrestaurant と表記されるが、文字通りでは読みにくい。ウクライナ語の方が素直だ。

р→r 何で?と思ってしまうが、そうなのだ。規則は規則なので分かれば使える。

ちなみに、ロシヤ(国名のロシア)は、Рociя である。つまり、このアールの鏡像みたいな文字は、ヤである。

ではこれ、Япoнiя とは?п→p(ポ)と変換できることがヒント。ヤポニヤと読めるなら、日本と推測できる。

まだまだ続けてみよう、次の言葉いきます。

よく絵文字でつかわれる特徴ある文字として、まるで口を開けているようなД がある。これは、Dに相当する(デとかヂなど)。
で、Nの逆転形、Иは、i に近い。Вはブでなく、V(ヴ)またはU(語の中の位置による)。Yに似ていても、チと読むЧ。
ここまで理解して次の難読語を読むと、、
дiвчинa ヂィウチィナア →年頃の女性、平たくいえばお姉さん、あるいは店員の女性の意味。 

ところで思うのだけど、血縁の人を”おばさん”、は許されるとして、原則日本では禁句だろう。ウクライナでも同じようなものだろうから、、たとえほぼбабаのようでもдiвчинaと言っといたほうがよいのだろうね。

ただし、、、ウクライナ語には呼格がある。
呼格とは、呼びかけに使う場合に名詞が変化する形のことだ。僕はラテン語でしか呼格を知らなかったけど、なんと、ウクライナ語にもあった!

かくして、呼びかけの場合、дiвчинa→дiвчинo/ヂィウチィノとなる。

且つ、この呼格ってものは、固有名詞にもある。ただの単語以上に文法にも足を突っ込むとしたらいやな予感、、。

そこで余談、youtubeなどインターネット環境ででウクライナ情報を収集したいなら、キリル文字を使うとよりこゆい情報が得られたりする。
お試しあれ。






























 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウクライナ語への半歩 その1プロローグ

かなりざくっとしたお話からはじめたい。このあたりの広いビジョンがあると些末なこともわかりやすくなるというものだ。

、、昔昔、ヨーロッパに栄えたローマ帝国は、その巨大さゆえに統治が難しくなり、東西に分割されることになった。

西の中心はローマであり、東の中心はコンスタンチノープルとなった。

言語的には、東がラテン語、東はギリシャ語が公用語となっていった。

この二つこそヨーロッパでの文明のプログラミング言語といってよい。

この度のウクライナ戦争により、”西側”という表現が強く打ち出されているが、元はといえばこのローマ帝国の東西が起点と考えればわかりやすい。

日本も西側なのだそうだが、なるほど小学生が習うローマ字は、ラテン語が起源である。

つまり、私たちの馴染みのアルファベットは西側の文字なのだ。

一方、東側のギリシャ文字から派生したものが、ロシアやウクライナで使用されているキリル文字である。

ギリシャ文字やキリル文字、に触れること、それはヨーロッパの半分に眼を開くことに等しい。

ウクライナ語はキリル文字で記述される言語、まず読むことから始めるしかない。

それは、面倒なこと?たしかに、、でもそこには、見えないものが見える、この不思議な感動がある。

ぼくは、この感動を皆さんにお伝えしたいと思う。

 

ウクライナ戦争と人間の自由

ウクライナ戦争での光景、、

孤立無援の製鉄所で、敵を引き付ける絶望的な戦いを続ける(彼らに賞賛を!)

辱めを受け虐殺された飼い主をずっと家で待ち続ける(犬なので例外だが)

戦車群の進行を阻止するため自爆により橋を爆破する

地上に爆撃が降り注ぐ地下室で重病の子どもたちの看病を続ける(自身の子どもたちのもとには帰れない)

民間人親子の射殺を拒否して反対に射殺される

小さな村を襲撃して、強姦強盗殺人パーティーで盛り上がり、〆は盗んだ酒で宴会する

戦場でヤケを起こして上官を戦車でひき殺す

地下シェルターで子を産み、生きている限り育てる

などなど、人間の選択はこれほどまでに多様だ。

一つの参考として忘れられた古い価値観に注目してみよう、それは名誉、恥を知ること。

「それがあるから俺はまっすぐ立っていられる」銀魂の銀さんのセリフ

 

 

巡洋艦モスクワのこと

惜しいことは、ネーミングである。プーチンならもっと望ましかった。

心配なことは、まさか核兵器を積んでいなかったよね?

ウクライナ製の軍艦が、ロシアの首都の名を名乗り、ウクライナ侵略の先駆けとして、小島の守備隊十数人を脅迫し屈服させようとした。

その答えは、「地獄に落ちろ!(原語で要確認)」であった。

一か月のち、ウクライナ製のミサイル2発がこの艦を沈めてしまった。

そしてこの艦に罵声を浴びせた守備隊の姿は、今や切手となっている。

 

 

ウクライナ戦争と神学

キーフ在住の人が、日本のテレビのインタビューに応じていたが、とても心に残る内容だったので書きとどめておきたい。

この理不尽な災厄をどのように解釈するか、彼は神学的解釈をもって苦境にある人たちを鼓舞する。

「世界がより望ましいものに変わるために、神はわれわれウクライナ人を選んだのです。」

彼らが抗しきれなければ、次は台湾に及ぶという話がある。

いずれにせよ、この世界はこのままではいられない。

ところで、、ウクライナ語で希望は、НAД IЯ/ナディーヤ(と読むはず)。







ウクライナ義勇軍と刑法

ウクライナ政府が義勇兵を募っている件につき、これに応じることは”私戦予備罪”とされる。

つまり日本の刑法では犯罪とされる。

最近の例では、イスラム国に兵士として参加しようとした大学生の例があったはずだ。

そして、この犯罪に予定される刑罰だけれど、懲役ではなく、禁固。

犯罪といっても、コソ泥や詐欺師、痴漢の類とは一線を隔てる規定になっている。外交上問題なので処罰はするけれど、志自体は非難を留保している意味と思う。

ところで、正当防衛ってよく知られている刑法の規定なのだけど、やむを得ず、緊急の自体で自分を守ることに限るばかりでなく、他人や社会の利益を守ることもその範疇になる。

今日、絶え間ない戦闘による市民の殺傷ばかりでなく、恐るべきことに、ウクライナの原発まで攻撃を受けている。

これって人類史的な危機ではなかろうか?

とすれば、この犯罪に相当する行為は、巨大な大義によって違法性を阻却されうるのか?

ウクライナ語でウクライナを応援する件

去年の夏、ウクライナ人のオペラ歌手にお会いする機会があった。

オリンピックの始まる前だったので、「人を励ます励ますはありますか?」とお尋ねしたら、このような表現を教えてくださった。

(活字でウクライナ語の文字表記が難しいのでカタカナとします)

ヤー バジャユ トビ ゼレノイ・ドローヘ ブ ジェティ

大体の意味:あなたの生活が、緑の道(平穏で障害のない道のこと)に向かいますように。

 

ヤー:私 バジャユ:英語のwish トビ:あなたに ゼレノイ:緑の ドローヘ:道 ジェティ:生活

そして半年、

今、ウクライナは深刻な危機のさなかにある。

この言葉をもって、応援の気持ちを表現したい。


 

 

 

大阪ビル放火事件について

メモ書き的に書いてみる、

職場復帰を目指したワークショップのような集まりがあり、その分人が多かったようだ。

精神科分野は、楽をすればかなり楽ができ、真剣にすれば果てしなく手間のかかる医療分野である。

単に向精神薬を処方するだけでなく、ワークショップを通じて社会適応まで対応するクリニックとすればとても良心的なクリニックと思う。

おそらく元患者が、ささいな出来事で偏執的な憎悪を募らせていったのだと思う。

気がかりは自爆テロ的ではなく、現場を逃げのびて次を考えている可能性だ。

この手の事件について予防を考えるなら、小さな前兆を見逃さないことだろうか。

つまり、いきなりしでかすことはあまりなく前兆となる事件がありうるということだ。

たとえ刑事事件とされるまでもないつまらない犯罪であっても、そこに尋常でない心性があれば予防的処置を講じる余地はある。

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